喪失の存在

今日、妹のお墓ができたと母から連絡があった。いよいよ家から彼女が出て行く日がきた。
嫁いで出てゆき、亡くなってまた出て行く。二度出て行く妹を、母たちはどんな思いで見送るのだろうと考えた。

僕はもう妹の死を乗り越えた、自分は立ち直ったと思っていた。それは半分正しく、半分間違っていた。

確かに、日常はいいだろう。もうむやみに悲しむことも、自分を責めることもなくなったかもしれない。
だが、そうであればあるほど、妹の存在は僕の心の深い部分に沈み、純度を増して残っていっていたということに、今回改めて気がついた。

日常はいい。一人で耐えればいいからだ。

だが、僕らは確かに大切なものを喪失したのだ。どんなに時間が過ぎてもその事実は消えない。その事実が消えないという、いわば「喪失の存在」が、突きつけられる時がある。

妹の一周忌のため実家に帰省した朝、食卓で母たちが朝食を囲んでいた。傍のテレビでは朝ドラの「ごちそうさん」を流していた(家族皆このドラマが好きだった)。計らずも、戦争で子供を亡くしたヒロインめ以子が自暴自棄になるエピソードだった。泥だらけになって震えるめ以子に和枝が「子供を亡くした悲しみは、一年かそこら泣いたくらいではどうにもならしまへん」と言い放った。
誰も言葉には出さなかったが、娘(妹)を亡くした母がこの台詞をどんな思いで聞いたか、その場にいるみんなが考えていた。

日常はいい。
飲み込めば済む。

だが、日常という、確かに見えて実はひび割れだらけの壁の隙間から、ときたまぞっとするような喪失感が染み出してくることがある。

家内の恩師の見舞いに病院に行った時、恩師の奥さんと四方山話になった。
長男なのに家を出た僕に、兄弟はいるのかと奥さんは尋ねた。ええ、妹が三人います、と僕は答えた。
奥さんは罪無く、結婚は?と重ねて尋ねた。

一人しましたが、あいにく一昨年癌で他界しました。僕の脳は淀み無く返答を誂えた。

「いえ、まだなんです」口からは別の答えが出た。
僅かに逡巡した。だが、結局のところ、病室で本当のことを言って誰が幸せになるというのだ、という結論に達した。

僕はもう妹の死を乗り越えた、自分は立ち直ったと思っていた。それは半分正しく、半分間違っていた。
間違っていた、という認識がそもそも間違っていた。
僕は「思い上がって」いた。
悲しみは、僕の裏側にまだいたのだ。

東京で

仕事で東京に来ている。四年以上ぶりだ。

今日は、せっかく東京来たので青山にあるMOTOに行った。店を出て次までかなり時間が空いたのでさあどうしようと思ったが、時間もあるし表参道から原宿駅まで歩いた。今日も人が多い。20代の頃は古着屋を目当てにこの辺をよく歩いていた。
表参道ヒルズの前を通りこれもせっかくなので入ってみたが、どうにも場違いな感じがしてトイレだけ借りてそそくさと出てきた。

そして足を棒にして次の予定の近くの喫茶店に入った。まだ一時間以上ある。若い頃もこんな感じだったな、と苦笑した。

茶店の窓から外を歩く人をボーッと見ている。しかしなんて人の多さだ。全然人が途切れない。この人たちはどこから来てどこに行くのだろう。もしかすると僕の視界の端まで来たら舞台の裏を通ってまた反対から歩いて来ているんじゃないだろうか、と思うぐらい人が途切れない。

しかし、当たり前のことだがこの視界にいる人たち一人一人がそれぞれの人生を生きている。あの人たち一人一人にとっては僕らが脇役であり、モブなのだ。通りを歩く人たちの誰か一人がふと横を向いて喫茶店の窓から見える僕らを見たら、「あの喫茶店にいる人たち、実は背景のセットの絵じゃないのか」と思うのかもしれない。

そんなことを考えている間も人は途切れず歩いている。
あと15分で待ち合わせ時間だ。
僕は僕の人生に戻ることにしよう。

変化

日付が変わり、11月13日になった。
今日は妹の三度目の命日だ。

また一年が過ぎた。
今年も例年同様、好きだった泡盛を一緒に飲んでいる。

妹が泡盛が好きだったというのは、後から知ったことの一つだ。味わった悲しみの大きさほどには、僕は妹のことを何も知らなかった。そして、僕はそういったことをずっと悔いていた。きっとそれは僕が生きている限りこれから先も続くのだろう。

また一年が過ぎた。
毎日は淡々と過ぎていく。
悲しみに暮れる日もあれば、幸せな日もある。
しかし昨日とは少し違う、今日が来る。

3年前より僕も、少し変わった。
変わることを、妹はきっと許してくれるに違いない、と思えるようになった。
それが一番の心の変化かもしれない。

篤子、もう少し話そうか。

夏の思い出(完結編)

前編より続く)
おそらくノブテルはうれしかったんだろう。
当時僕は新聞は占いとテレビ欄しか見なかったのでノブテルが新聞に載ったことを知らなかったが、その日の夜に母からそれを教えられた。
「知らなかった?」と母に言われ、「うん。今日キヨテルと話したけどあいつ何も言ってなかったよ」
そう言ってからあることに気がついてハッとした。そうか、キヨテルは悔しかったんだろうな。大嫌いな弟が何かを成し遂げたことが。だから何も言わなかったんだろう。
逆にノブテルはうれしかったんだ。大嫌いな兄貴たちを見返してやれたことが。いつも偉そうに先輩づらして自分を抑えつける(これは僕の想像だ)。悔しい。全員やってやりたい。でも後から生まれた者の不幸か、まだ兄貴たちに勝てるものがない。勉強も、スポーツも、ケンカも遊びも、何ひとつ兄貴たちには敵わない。そんな僕が、初めてあいつらを見返してやることができた。見ろ。あんたたち誰もこんなすごい賞獲ったことないだろ?しかも僕はまだこんな小さいのに。今はまだ小さいから勝てないけど、それは単に後から生まれたからで、あんたたちより僕の方が才能がある。しゃべりはじめたのも、自転車に乗れるようになったのも一番早かったとお母さんから聞いた(これも僕の勝手な想像だ)。ノブテルはうれしかったんだ。

そこまではよかったのだ。
が、そこからがまさにこの兄弟のこの兄弟たる所以だった。
ノブテルは何を思ったかその翌年の夏休みも同じ題材で自由研究を提出した。昨年同様大作だったが、もう賞はもらえなかった。その翌年も提出した。中学に入ってからも、高校に入ってからも(この頃はどこに出していたんだろう)。毎年毎年、夏の思い出を集め続けていた。なぜそれを僕が知っていたかというと、僕も気になってキヨテルに尋ねていたからだ。「ノブテル、今年もやってんの?」というのが、毎年7月ぐらいの僕とキヨテルの恒例の会話になった。
その間僕も一度インタビューを受けた。大嫌いな兄貴の友達なので遠慮してたみたいだが、よほど人が集まらなかったらしい。僕が夏休みで帰省しているタイミングを見計らい、電話をかけてきた。
またある年は街頭でインタビューをしているノブテルを見かけたことがある。たぶんあれはノブテルが中学生ぐらいの時だ。僕が買い物帰りに商店街を歩いていると、通りの向こうに妙な人の流れができていた。目を凝らして流れの規則性を追ってみると先を行く通行人たちがある一角を避けるように足早に歩いていくのが遠目にも見て取れて、その渦の中心に変なやつがいた。「あれ、ノブテルじゃねえか…」豪勢な一眼レフカメラを首から下げ(だいたい、こんな道楽を何十年も続けられることから分かるように、こいつらの実家は相当な金持ちなのだ)、謝礼用の図書券や、各種文房具で膨れ上がった釣り用のベストみたいなやつを着て、歩いてくる人たちが自分の結界に入ってくるやいなや「あの!すいません!」と猛然とダッシュしてくる。当然みんな逃げる。それを繰り返していた。何人かに逃げられたのを見た後、僕もそのまま回れ右をしてさっき着た道を急ぎ足で帰った。その背中に「タナカさん!タナカさん!」と声がかけられるんじゃないかとびくびくしながら。
ノブテルにあの小3の時の面影ー誰もがそのひたむきさに「彼に協力しよう」と自然に思うようなーはもうなかった。何かの業に取り憑かれた少年の姿があった。あれじゃあ誰も話を聞いてくれないだろう。しょうがないやつだ。周りの人が誰か助言なりなんなりしてやらないんだろうか。そんなことを考えながら、たっぷり1時間ぐらいかけて遠回りして家に帰った。
その時もいろいろな感慨はあったが、まあそれは置いておく。つまり何が言いたいかというと、繰り返しになるが、ノブテルあの小3の時、よっぽどうれしかったのだ。だからあれから20年経った今でもそこから抜け出せずにいる。すがっている。ある意味、可哀想なやつなんだ(そんなわけあるか!兄貴と同じ、ただの変態だ。何がオトナの自由研究だ!)。

「夏の思い出か…」僕は結局答えることにした。答えないと終わらないからだ。家内はさっきから僕に後頭部を向けてテレビを観ている。髪を縛って寝ているので、頭の中ほどぐるりに変な段差ができていた。
「そうだな……、子供と初めてキャンプに行ったよ。昼は釣りして、夜は炭に火をおこしてバーベキューをやって、楽しかったよ」子供を見ながらそう言ってみたのだが、子供は微動だにせず家内のスマホで何かを見ていた。小さい音だがボカロみたいな声が聴こえるので、YouTubeで攻略動画でも観ているんだろう。
子供はこういう、「大人の話」には一切興味を示さない。仮に気になっても興味のないふりをする。いつの間にかそんな処世術を身に付けていた。両親の幼児性のせいで、大人にならざるを得なくなり、すまないことだといつも思っている。
そんな父からの思いを、ノブテルがぶっ壊した。
「出た。バーベキュー。またバーベキューだ。ふたことめにはバーベキューバーベキューって、なんなんですか。あなたたちは。なんでみんな最初にバーベキューの話なんですかあああ?」ノブテルは心底呆れ返ったように語尾を伸ばしてそう言った。その鼻に付く言い方に、お前と違ってみんな友達や仲のいい家族がいるからだ、という言葉が喉仏まで出たのを飲み込んだ。「うるせえお前と違ってみんな友達や家族がいるからに決まってんだろうが」飲み込んだが、やっぱり出すことにした。
と、勢いで言ってはみたものの、言った後やっぱり後悔した。
「そんな言い方しなくたっていいじゃないですかあああ!」
たぶんそう言ったんだろう。音が割れるほどの大声に反射的にスマホを耳から離したので、途中からは聞き取れなかった。しばらくそうしていたが電話の向こうではノブテルの悪態が続いていて、音は聞こえないがボリボリという振動が手に伝わってきた。

ノブテルがなぜこうも怒り狂うのかというと、それにはちゃんとした(僕はそうは思わないが)ノブテルなりの理由があった。100人の思い出に、重複したテーマを使ってはいけないというルールがあるからだった。
そしておそらくこれこそが、最初の年にノブテルが賞を獲れた要因だと僕は思っている。考えてみてほしい。100人の違うテーマの話など、そうそう集められるものではないはずだ。誰もがそうとっぴなことをしている訳ではないのだ。当然同じテーマの話をした人もいるはずで、それは捨てたということだ。だとすると100テーマに至るまで何人の話を聞いたのか。それを考えると戦慄すら覚える。
が、今は今だ。ノブテルがどんな話を集めていようとこっちは知ったことではないし、それが他人とかぶっているからといって揶揄されるいわれもない。ノブテルの不愉快な語尾の伸ばし方は、僕ら家族がしてきたことがなんだかひどくつまらないことであり、それを思い出として喜んでいる僕が言いようもなく小さな人間なんじゃないか思わせるような低俗な響きがあった。要するに小学生の言う「や〜い」と同じだ。

「誰もがタナカさんみたいに幸せな家庭に生まれたと思わないでください……」
「そこまで言わなくてもいいだろ…分かった、悪かった、悪かったよ」なぜ僕が謝っているのか自分でも理解できなかったが、とりあえずそう言った。僕の謝罪を聞いて、家内がぴくりと動いた。家内の動きにつられて子供も少し目を上げた。やめろ、お父さんの恥ずかしい姿を見るな。

「でもなあ……俺もそんなに変わったことはしてないよ。盆にそっちに帰ったけど、夏休みの里帰りの話なんか、とっくにあるだろ?」
「ありますね。里帰り系は特に今年は豊作でした。刑務所帰りの人の話を泣く泣く捨てましたよ」
「……そんな渾身の話を捨てるのかよ…話す方も話す方だけど、聞き出すお前もお前だよ」採用された里帰りの話にも興味があったが、長くなりそうなのでそれ以上聞くのはやめた。
「あ、そうだ。帰省で思い出したよ。家族が増えた話はどうだ。あるか?」
「ビンゴでござる!(いちいちこういう言い方が人をイライラさせるということにこいつは気がついていないのだ)出産は今年はないです。妹さんですか?」
“今年は”という言い方もまるでそこにしか価値がないようで実に勘にさわるのだが、とりあえずそれは飲み込んだ。今度は本当に飲み込んだ。
「いや、そうじゃないんだけどね」しかし僕はニヤニヤしていた。ニヤニヤするような話だからだ。「実は夏に、子猫をもらったんだよ。しかも3匹。すごくない?」
「それのどこが出産なんですか!ペットを飼った話ならもうありますよ。だいいち僕は猫が嫌いです」
「知るか!」
実は、僕も猫が嫌いである。犬も嫌いだ。総じて動物はあまり好きではない。
だが、子猫は別だ、ということを今年初めて知った。子猫は可愛い。なにしろゲージの掃除をしていたら「自分の家はどこだ?」とばかりにシルバニアファミリーの家に入り、ぎゅうぎゅうになって出られなくなったりするのだ。あれはたぶん猫とは別の生き物だ。
前に飼っていた老猫が夏の前に天寿を全うし、家族には一時期小さな穴が空いていた。その穴を障子のようにぶち破って3匹の猫はうちに飛び込んできた。もう家族を見送ることに疲れていた僕たちは、それをとても喜んだ。人だろうが猫だろうが、幼い命が家庭の希望であることにはなんら変わりはない。それをなんだこいつは。何が「もうある」だ。そんなに言うならお前が結婚して夏に産まれるように子供を作ればいいのだ。できやしないだろうが。
「そんなに言うならお前が結婚して夏に産まれるように子供作ればいいんじゃないですかあああああ〜?」抑えきれずにそう言ってしまった。しかもなぜか僕もノブテルの口調になっていた。

瞬間的に僕は耳からスマホを離した。
さっきの悪態の時よりも、いや、その比ではないぐらいノブテルの心を抉った手応えがあったからだ。アメコミみたいに叫び声がスマホの画面を割って飛び出してきて僕の右耳から左耳に抜けていく絵が頭に浮かび、僕は片目を閉じて衝撃に備えた。

そしてしばらく待った。
スマホからは何も聴こえてこない。
ん?と思ってもう一度スマホを耳に当てようとして、いや、これは時間差攻撃かもしれん、ノブテルは「溜め」撃ちをしようとしてるのかもしれんと思い直し、またしばらく待った。
まだ何も聴こえない。
ちょっと不審に思い、おそるおそるスマホを耳に当てた。
鼻をすするような音が聴こえた。
「もしもし?どうした?」
また鼻をすするような音。
「もしもし?どうした?」嫌な予感がして、何度も呼びかけた。「おーい、もしもーし」
「……てるんですよ……」
弱々しい声が聴こえた。この世の終わりの前の日のような声だ。幽霊屋敷の隙間風はきっとこんな音で吹きすさぶのだろう。うららかな昼下がりの気温が僕の周りだけ10℃下がった。
どうやらノブテルは泣いているらしい。「…ですよ、…ですよ」という声だけがかろうじて聴き取れる。
いやいやいや、ちょっと待て。多少言いすぎたかもしれんが、それじゃあこっちが悪いことしたみたいじゃないか。お前、それはずるいぞ。
「おーい、もしもーし、どうした?おーい」僕は呼び続けた。ノブテルを「こっち側」に連れ戻さないといけない。
しばらく呼びかけていると、ようやく音声が明瞭になった。「…分かってるんですよ、そんなことは…」そう言っているらしい。
「分かった?分かったって何が?」
「…から…こんなこといつまでも続けられないことぐらい、俺だって分かってるんですよ」
ノブテルはそう言った。僕はこの言葉に大きな衝撃を受けた。同時に衝撃の裏側で少しの安堵と、わずかに落胆を感じた。安堵は、こいつでも自分のしてることに疑問を感じているという点だ。自分が狂人と話しているのではない(変人ではあるが)ということにちょっとホッとした。だが反面で落胆を覚えた。だからこそこいつみたいなやつには周りの目も気にせず奇行を続けてほしい(僕に被害の及ばないところで)のになあ、という残念な気持ちだった。

が、問題はそこではなかった。「…お前、そんな寂しいこと言うなよ…」ノブテルが自分の行動をどう自戒していようと、それはどうでもいい。「ひとつのことを何十年も続けるとか、なかなかできることじゃない。俺にはお前みたいにそんな懸けられるものがないから、ある意味羨ましいよ」僕の一言で足を洗ったという責任を負わされるのはまっぴらだった。

「そんなこと言うけど…」ノブテルの声は落ち着いてきた。「どうした?ん?ん?」できるだけ陽気に軽快に相づちを打った。「タナカさんは知らないだろうけど…」「何を?ん?ん?」「こんなことしてると、みんなに変な目で見られるんですよ」「あた…」当たり前だろ、と反射的に言いそうになった。危ない。「…あたしはそうは思わないね」落語のご隠居みたいな言葉になった。「…あたし?」「…それはいい。とにかく、止めるとか言うな」「……」
電話だと、無言の意図が分からなくて困る。「いいか?元禄時代の武士が四半世紀近くつけていた日記が、当時の武士の暮らしぶりを知る重要な資料として今も読み継がれている。“続ける”ということはなんであれ、それ自体が価値を持つんだよ。だから、今お前を変な目で見る人にじゃなく、300年後の人に読ませるつもりで書けばいいじゃないか!」
「そんなもんですかね…」ノブテルの声は少し和んだ。「そんなこと言われたの初めてです」よし、いい感触だ。

いや待てよ?
何かがひっかかった。これは何だ。
僕の一言でノブテルが「夏の思い出」集めを止めたとしよう。ノブテルは僕を恨むかもしれない。僕は少し寝覚めが悪いだろう。だが、僕の一言でノブテルがこれからも「夏の思い出」集めを続ける決意をしたとする。するとどうなる?たぶんキヨテルやその兄弟、家族、もっと多くの人間から「せっかく足を洗わせるチャンスだったのに余計なことしやがって…他人のくせに…」と恨まれるだろう。きっとその怨嗟の声の方が強いはずだ、ということに今さらながら気がついた。おい、逆だ逆だ。
「あ、いやまあ……300年後まで残せるメディアとか無いし…、プリンターのトナーもそこまで耐久性ないし…あんまり無理しなくてもいいんじゃないかな…元禄武士の日記も門外不出で最近まで日の目を見なかったって言うし…」
「…なんなんですか、タナカさん。さっきから何が言いたいのかさっぱり分からないよ」
「いやだから…、何が言いたいとかじゃなくて、つまりあれだ、俺がどう言ったとかじゃなくて、自分のやりたいことは自分で決めろということだ」
「はあ…」

「子供の自由研究の話はあるか?」
「…あ、その話ですか。自由研究は……ありますね。そうそう、それがね、スズキ先生の息子さんの話なんですよ」
「スズキ先生?」
「G中の」
「覚えてないなあ。俺も知ってる先生か?教科は?」
「教科は知りません。校長だったから」
「校長っ⁉︎……おい、それってまさか、あの生徒指導のスズキ先生か⁈」
「そうそうその人。僕らの時は校長でした」
「あの人校長なってたのか!……つかお前、20年前卒業した中学の校長にも凸したのか!」
「ええまあ」
「見境ないやつだな……あれ?ちょっと待てよ。スズキ先生は俺たちの頃でももうけっこう高齢だったぞ…息子さんって、いくつだよ」
「2番目の兄貴とタメって言ってたから、50手前ですね」
「ジジイじゃねえか!」思わず素っ頓狂な声が出た。「…なんだそりゃ…息子の自由研究っていうからてっきり小学生かと思ったよ…スズキの子供も50前で自由な研究とか…なにしてんだよ…。おい、お前といっしょじゃないか…」
「ライフワークで郷土史を調べているって」
「ああ…まあ確かに、それは自由研究だな」
「タナカさんのは?」
「…もういいよ。そこまですごくない。子供が夏休みの自由研究で椅子を作ったって話だ」
「どんな椅子ですか?」
「いや…別にいいだろ。木工の工作でよくあるような普通の椅子だよ…」
子供をちらと見た。どきりとした。下を向いてスマホを見ているが、全身で話を聞いている感がありありと漂っていたからだ。目をそらして家内を見ると、こっちも恐ろしい目で僕を見ている。不審な電話で子供の悪口を言っていると勘違いしてるんだろう。また片目をつぶって「ごめん」のハンドサインをした。
家内は表情を変えずに僕にこぶしを突き出して「いいね!」のハンドサインをした。ホッとした。よかった…伝わったみた……その手が上下反転した。
あー…そうなのね…「ゴートゥヘル」のサインだったのね…。「…いやだから普通に見えるけど、…でも実用的でなおかつあたたかみがあって、それでいて可愛い椅子だよ!」言いながらだんだん腹が立ってきた。
「写真あります?」
「ないよ!心のアルバムにしまったわ!」
「そうか…残念だな。そっちを採用したかったのに」
「同情はいらん」
「同情じゃなくて、今思いついたんだけどタナカさんには名誉会員になってもらおうと思って」
「はあ?名誉会員?」また謎の言葉が出てきた。もう無理だ、ついていけないと思った。僕はもう理解しようと努めることもやめた。
「そうです」心なしかノブテルの声ははにかんでいるように聴こえ、それがいっそう腹立たしい。「何回か採用された人は、優先的に毎年採用される名誉会員になってもらってるんです」
「要るかっ!」
電話を叩き切った。と言っても昔の黒電話と違いスマホなので、優しく親指でタッチしただけだが。

気がつくと胸元まで怒りがせり上がってきていた。体はふた回り小さいスーツを着せられたみたいにこわばっている。あ、そうだ。慌ててスマホの電源をオフにして、家電話に飛びつきプラグも抜いた。
結局、20年前とまったく同じ結果になった。

「何だったの?」家内の声は不審から不信を通り越し、逆に無表情になっていた。面倒なことはごめんよというオーラが全身から漂っている。
「ごめんごめん」演技ではなく、心底疲れた声が出た。「前に話したろ。地元の後輩のノブテルからだよ」
「あの、夏の思い出くん?」面白くもなさそうに家内は言った。
「うん。20年ぶりぐらいだけど、なぜか今年は俺がターゲットになったらしい」
「それで工作の話してたんだ」
「うん。あんまり失礼なこと言うんで切ってやった」
「話せばよかったのに」
「椅子の話?」家内の言葉は意外だった。「あの椅子にそんな特別なエピソードあったっけ?…いや、頑張って作ったのはもちろん知ってるけど」
「じゃなくて、ジャッキーチェンのこと」
「ジャッキーチェン?」思わず聞き返した。なんでここでその名前が。さっぱり意味が分からない。
「クラスで、自由研究の発表したんだって。なんでその題材を選んだとか、工夫したところとか」
「それは聞いた。あの椅子は座面に古着使って、エコにしてみましたって言ったんでしょ?」
「うん。授業の後、男の子に“どうせお母さんに手伝ってもらったんだろ”ってからかわれたんだって」
「ああ…男の子はそういうこと言うよな…」
「で、椅子を乱暴に扱ったから腹が立ったらしくて、椅子を取り上げたんだって」
「やるなあ」ちょっと意外だった。普段は言い返せないおとなしい子なのに。
「そしたら男の子が向かってきたんで、とっさに男の子に向かって椅子を床に滑らして」
「え?」
「男の子が椅子にぶつかって倒れたところを」
「は?」
「椅子の足の間に男の子の手足を挟んで動けなくして、その上にあぐらかいて座ったんだって」
「香港映画じゃないか!」
「で、“中国の古いことわざに、ジャッキーに椅子を渡すなってのがあるの知ってる?”って言ってやったんだって」
「嘘だろ…。そんな武勇伝、初めて聞いたよ…」
「まあ、嘘なんだけどね」
「…なんだよ!」
「なんだよじゃないわよ。スケボー連れて行くんでしょ」
「そうだった…準備しなきゃ…」

公園に向かう車の中で、ノブテルのことを思い出していた。
さっきは言えなかったが、僕の、今年の夏の一番の思い出はなんだっただろう。
初めての家族キャンプに行った。子供とプールで大きなスライダーにも乗った。同窓会にも行った(おそらくここでぼくの携帯番号がノブテルに流出したのだ)し、渓流でスイカ割りもした。
どれも間違いなく楽しかった。誰かに訊かれて答えるなら、こういうエピソードなんだろう。
だが、イベントばかりが思い出なのだろうかという疑問があった。今年の夏も、去年の夏も一度きりだ。何気なく過ごす生活の中にも、強く残る思い出もあってもいいはずだ。そんなことって無かっただろうか。

その答えはあった。というか、ノブテルに最初に「夏の思い出は?」と訊かれた時から、頭の片隅にはずっとその情景があった。

8月16日の夜、実家で送り火を焚いた。
火を囲んだのは母、妹2人、僕の4人だった。僕は新聞紙の上に割り箸で作った焚きつけを置き、ライターで火をつけた。前日の雨で庭の砂は濡れていて、中々火がつかない。「ほんと不器用だなあ」と妹の悪態が飛ぶ。焦りながら火をつけた。オレンジの炎が風に煽られ、だんだん大きくなってきた。

4人で火を見下ろした。ハンバートハンバートの“今宵小さな火を焚いて”という一節と同じ情景だ。
また一年が過ぎたんだな、と思った。

「お父さん」と母が言った。僕は母を見た。母は火を見ている。「あっちゃん、ぶす、モモ、寧々、シーザー、プー子…みんないっちゃったね」ぶす以降はペットの名前だ。みんな逝ってしまった。改めて名前を呼ぶと、これだけの大勢の家族を見送っていたのだ。
母が、妹の名前を呼んだのを久しぶりに聞いた。おそらく三回忌の時以来だ。妹は僕らの記憶の中にいる。でも、そこにはいない。
が、名前を呼ぶと、その時だけ僕らの前に現れる。母の呼びかけで、妹2人と僕の目の前にも、篤子の姿がよみがえった。ひまわりのような明るい笑顔で、篤子はそこにいた。父もいた。父の姿は、子供の頃見上げたときのように大きかった。
久しぶりに、家族6人が揃った。小さな、消えそうな火を囲んで。

しばらくすると火は弱くなった。歌の歌詞とは違い、夜中燈すことはできない。僕は燻りに水をかけ、灰を袋に入れた。

これが僕の、夏の思い出だ。ノブテルに話したところで、そんなのうちでもやってますと一蹴されるだろう。僕ら家族の喪失と、その後の生活のことなど、僕も詳しく話すつもりもない。ノブテルには話せない、個人的な夏の思い出だ。

公園についた。そういえば携帯の電源オフにしたままだったと気がついて、電源を入れた。ブブーとバイブが鳴った。
不在着信が32件入っていた。


注:キヨテルのことは、前にここで書いた。
http://d.hatena.ne.jp/bonnie_yt/20110309/1299630608

夏の思い出(前編)

先週の日曜の正午。
昨夜も遅くまで起きていたので、さっきまで寝ていた。子供に日曜はスケボーに連れて行ってほしいと言われていたが僕がいつまでたっても起きないので、業を煮やした子供に枕で顔をふさがれ、あやうく窒息するところで目が覚めた。
冷や汗をふきながらヤレヤレ枕はこんにゃくゼリーより危険かもしれんなどと考えていたら、携帯に着信がきた。
驚いた。僕の携帯にはあまり電話はかかってこない。誰だ、休みの日にと思って番号を見た。

とたんにある「予感」が、僕の、休日の開放感を、青空に浮かぶ雲のような開放感を、全て蹴散らした。

スマホの画面に名前は出ていない。つまり僕のアドレス帳には登録されていないということだ。
だが、それが誰からの着信なのか、番号を見ただけで僕にはすぐに分かった。
間違いない、ノブテルだ。ノブテル以外に、ニイサンミナゴロシ、なんてふざけた番号を好き好んで携帯に使うやつがいるだろうか?

繰り返すが、電話がかかってきたのは日曜の正午だ。
一週間でいちばん開放感と、それに伴うほんのちょっぴりの罪悪感を感じていい時間だ。「お昼は冷蔵庫にあるものでいい?まだ買い物に行ってないんだよね」「いいよ、なんでも」「お父さん、約束だよ、スケボーしに公園連れて行ってね」「ああ、分かってるって、宿題は済んだのか?」「とっくに終わってるよー」僕にだってひとしなみにその権利は与えられているはずだ。
それをやつは、なんでよりにもよってこんなゴールデンタイムに電話をかけてくるのだ。

そもそもこの前電話をかけてきたのは何年前の夏だ?僕が携帯を持つ前だから、約20年前か。ということは、大学4年の夏か。そうだ、夏休みで帰省している時に実家にかかってきたんだ。あの時も大変だった(さんざん揉めた後に「二度とかけてくるな!」と言って電話を切ったら、10分後に自転車で家に来たのだ)。
どうせまた今日もあの時と同じ用事だろう。
きっとまたあいつはこの世の終わりのような声を出すのだ。

そんなことが頭をよぎっている間にも、iPhoneの軽快な着信音ーあのいまいましいデフォルトのやつだ。初期のモデルからそうだが、この着信音に関してだけはAppleの気が知れないーは鳴り続けていた。子供が「電話出ないの?」と言った。隣の部屋にいた家内も着信音が鳴りつづけるのを不審に思ったのか、戸口から顔を出した。
こうして困惑と不審に満ちた6つの目がリビングに揃った。僕らに見つめられながらも、悪びれることなくiPhoneは歌い続けた。
選択肢は3つしかなかった。
1.普通に電話に出る。
2.明るく電話に出る。
3.諦めて電話に出る。
電話に出ない、という選択肢はなかった。仮に電話に出なかったとしたら、電話から出てくるのだ。スマホの小さいディスプレイから小さいノブテルが長い黒髪を垂らして出てくるのだ。そんなやつだ、夏のノブテルは。

今思えば、僕はどこかで期待していたのかもしれない。こんな思考を巡らせているあいだに、電話が切れることを。そしてまた日曜の正午の続きが始まることを。
「電話出ないの?
家内の声は、不審から不信に変わりつつある。「出るの待ってるんじゃないの?」
可能性として疑っているのはなんだろう。やっぱり浮気か。…浮気だろうな。浮気しかない。それとも借金か。…借金かもな。借金しかないな。いかん…動揺してる…なんとかしないと…。
「いや、それはどうかな。見ての通り電話帳に入っていない番号だし誰からかは知らないけど、向こうにしてみれば僕が出るかどうかは僕が出るまでは分からないわけで、僕が出る確率は50%、出ない確率も50%、つまり電話に出ている状態と出ていない状態が1:1で重なりあっていると解釈しているかもしれな…」
「電話に、出ないの?」
家内の声は完全に不信のそれになった。まあそう考えるのが自然だろうと理解できる。つまりあれか、不信を払拭しようと腐心した冗談が不振に終わったのか。わはは、うまいうまい。
…どうしてこうなった。
この間にも安普請(もうひとつ韻を踏んでやった)のアパートに、重い沈黙と明るい着信音が一触即発の状態でまだ共存していた。

「もちろん、出るよ。見ての通り電話帳に入っていない番号だし誰からかは知らないけど、出るよ。出るからね」結局僕は電話に出ることにした。これ以上要らない(身に覚えもない)家庭内不和を拡大するべきではない。スマホを掴んで隣の部屋に行こうとした。
「ここで話せばいいんじゃない?」背中に冷たい声が掛けられた。とっさに言い訳が2つ浮かんだが、さすがにもう不毛すぎて馬鹿馬鹿しくなってきたのでやめた。
「…まったくだ。まったく君の言う通りだ。なんと僕も同意見。だってなにも隠すこととかないもんな。見ての通り電話帳に…」「いいから早く出なよ」
結局僕は電話に出た。「…はい、タナカです」そういえばなんで留守電にならなかったんだろう…と今更ながら疑問が湧いた。

「タナカさんですか?」間違いない。ノブテルの声だ。
「どなたですか?」違いますと言って最後の抵抗を試みようかと考えたが、さっきタナカですと名乗ったのを思い出した。
「タナカさんですね?夏が終わってしまいますよ!」
やっぱりノブテルだった。
内心で深い深い溜息をついた。ただの溜息じゃない。北京の大気のように白く濁った溜息だ。

ノブテルは同級生のキヨテルの弟だ。キヨテルは「一旦濡れて乾いた本で(性的に)異様に興奮する」という性癖の持ち主だ(ひどい紹介の仕方だとは思うが他はいたって普通の人間なので、それぐらいしかエピソードがない)。今は地元で車の営業をしている。が、今はキヨテルのことはいい。
キヨテルたちは男ばかりの5人兄弟で、キヨテルは三男、ノブテルは末っ子である。歳は確かキヨテルの5つだか6つだか下なので、ノブテルと学校で一緒になったことはない。ちなみにキヨテルとノブテルで見当はつくかもしれないが、兄弟全員名前に「テル」がつく。昔キヨテルに名前の由来を訊いたことがあったが「母親があおい輝彦のファンだったから」だそうだ。
ノブテルとキヨテルは昔からとにかく仲が悪い兄弟だった。しかもキヨテルだけではなく、ノブテルは兄弟全員と仲が悪かった。当時のノブテルは兄たち4人を憎悪していたが、20年経った今でも「ニイサンミナゴロシ」などというふざけた番号を携帯に使っているところを見ると、まだ和解はできていないようだ。
さっきも書いたが、僕はノブテルと学校で一緒になったことはない。だからつきあいといっても、あくまで友達の弟としてのそれしかない。キヨテルと僕は仲が良かったが、ノブテルはキヨテルを嫌っていたので、3人で遊ぶことはなかった。そんな僕になぜノブテルは大人になった今でも連絡をよこしてくるのか。それを説明するためには、少し兄弟の話をしないといけないだろう。
こいつら(もう“こいつら”で沢山だ)5人兄弟は、皆なにかしらの収集癖を持っていた。キヨテルはさっき言ったように「濡れて乾いた本」だ。最初に家に遊びに行ったとき、全部の本がそうなっているのを見たときは意味が分からず驚いた(それがキヨテルの性癖によるものだと知ったのは、ずいぶん後のことである)。最近はphotosopであの感じが一発で出せるようになって捗ると技術の進歩を礼讃していたが、やっぱり天然モノ(キヨテルは屋外に落ちている本をこう呼んでいた。反対に風呂で濡らして天日干しして自作したものを“養殖モノ”と呼んでいた)の魅力にはかなわないねと、本人以外まったく同意を求められても困るたぐいの供述をしていた。他の兄弟にもそれぞれ収集癖があるのだが、今日の話には関係ないし思い出すとますます不愉快になるだけなのでここでは置いておく。今はノブテルの話だ。
ノブテルが集めているのは何か。それは「夏の思い出」だ。

「ノブテルか?久しぶりに連絡してきて最初がそれか?…何が夏が終わるだよ…もう10月だぞ」
「だ、か、ら、時間がないんですよ!…杉山清貴は襟なしのシャツに10月が来ても夏は終わらないと言ってたけどそれは…」途中からひとりごとみたいなしゃべり方になったので、最後の方はぶつぶつとしか聞こえなかった。ノブテルのしゃべり方は昔と変わらないなと思った。こいつは今みたいにしゃべっている途中で突然会話のベクトルを変えてくる。話題を変えるのではない、いわば「向き」を変えるのだ。外側から内側に。しかもこんなひとりごとのようなしゃべり方をしておきながら「聞こえてるんでしょ?返事求む」みたいな態度を取るからあいづちを打つこちらがまるで向こうの言葉に興味を持っているかのような構図になり、余計に腹立たしい。腹立たしく思いながら、しかしこのしゃべり方は誰かに似ているなとふと思った。ああ、思い出した。昔の職場にいた、一人称に「拙者」とか使ってた人の話法だ。全方位に大声でひとりごとを言って、ひとりごとだから反応なくても寂しくないしと自分に言い聞かせるアレだ。
「なんだ?何言ってるか聞こえないよ。要件はなんだ。手短にね。これからがいしゅ…」
「夏の思い出を話してください!先に言っときますが、嘘はダメですよ!」
長々と書いている通り要件は最初から分かってるし、この言葉もノブテルのテンプレなのだが、やはり嘘つき呼ばわりされるのは腹が立った。
「だから、いきなりなんなんだよ。夏の思い出?お前まだそんなことやってんのか?」
僕はこう言いながらも家内にアイコンタクトを取ろうとした。これは我ながら立派な態度だと思う。僕の今の立場を想像してほしい。家族に不審の目で見られ、突然の面倒ごとに気は動転し、しかも意味不明な言いがかりに腹が立っている。それでいながら家族への気遣いは忘れていない。そんな自分に腹立ちとは裏腹に、心の別の部分が少し高揚してきた。
家内と目が合った。その目からは「怪訝そう」という以外の感情は読み取れない。僕はアメリカの刑事ドラマなどでよく観る、しゃべれない時に使うハンドサインを送ってみた。「この電話(スマホを指差し)、ちょっと(人差し指と親指で)、長引きそう(尺を取れのポーズ)」
家内はしばらく僕を見ていた。表情はかわらない。僕は追加で「ごめん(拝む)」をした。まだ僕をじっと見ていた。表情は変わらない。家内はそのまますっとテレビに向き、アッコにおまかせを見始めた。
おい、いいのか?伝わったのか?
「…嘘はダメですよ!証明できるものも一緒に出してください。情景が分かる写真をお願いします。写真はjpeg形式で、1MB以内です。写真が不可の場合はそれに準じる書類でもいいです。pdfにしてメールに添付してください。wordは不可です」jpegだのpdfだの聞きなれた単語に意識が引き戻された。
正直に言うと最後の方は適当に書いている。ノブテルももう言い慣れているテンプレのせいか早口で言っているし、僕もいきなり言われて覚えきれなかった。が、まあたぶんこんなことを言っていたんだと思う。
ここでちょっと不覚にも感銘を受けた。前に電話がかかって来たときも証拠の提出についての勧告はあったが、証拠の提出はアナログ形式だった。jpeg画像や書類のデジタルデータといった規約はなかった。時代の流れか…。…考えてみればあれから20年経ったんだもんな。
ハッと我に帰った。違う!そこに感銘を受けている場合か!

ノブテルの収集癖、それは他人の夏の思い出を毎年100人分記録することだ。
ノブテルは小学生の時(確か3年生だったと記憶している)、夏休みの自由研究で「100人の夏の思い出」という発表をした。親や親戚(兄たちとはすでに仲が悪かったので対象外だった)、近所の人、学校関係、その他(街頭インタビューに近いこともしていたそうだ)の人たちに夏の楽しかった思い出を話してもらい、一人ずつ文章と写真にまとめて分厚いノートを作った。
キヨテルの「濡れて乾いた本」を集めることの執着もそうだが、およそ世にいる奇人の奇行も、最初の一歩はこんな風に純粋でたわいのない思いつきから産まれるものだろう。ノブテルがなぜその題材を選んだのかは知らないが、発想は面白いし、それをただの思いつきで終わらせずにこつこつと100人にインタビューをした行動力も小3にしては見上げたものだと思う。
ノブテルはその発表で何かの賞を獲り、小さくだが新聞にも載った。
今思うと…おそらくこの時が、ノブテルの人生のピークだったんだと思う。(完結編に続く

追悼

猫とは、我々人間が機能不全な関係を結ぶ、最後で最上の存在である。(ジョン・ブッシュ)*1


実家では猫を飼っていた。父がこの場所に家を建ててからもう17、8年前になるが、猫は家の完成と共にこの家に住み着いた。
家族と猫との出会いはこんないきさつだった。

15年前、市内を見下ろす山のふもとに父は家を立てた。建築場所は会社の近所だったので父はよく建設中の家を見に行っていた。
そんなある時、父は建設中の家の中に子猫が居ついているのに気がついた。父は家族には内緒でそこで猫を飼い始めた。
やがて家は完成し、子猫は自動的にこの家の一員となった。何も知らされていなかった家族はそのことをとても喜んだ。
念願の庭付きの家になり、父は犬を飼い始めた。ビーグルのモモ、イングリッシュセッターの寧々など、多い時で5匹の犬がいた。
10年が過ぎ、老齢になった犬たちは順番に旅立って行った。最後に残ったパグ(父にそっくりと評判だった)も逝き、その数ヶ月後に父も他界した。あの子(パグ)が寂しがったんだろうか…と葬儀の時に言っている人もいた。
猫は老齢になり、サンルーム下の寝床から、室内で過ごすようになった。
猫はずっと家族を見ていた。
元気だった頃の父のこと、若かった頃の兄妹のこと(たまに帰るだけの僕にはまだ他人行儀だ)、本人は否定するだろうが家で一番偉い母のこと。嫁いでいく前の妹のこと。新しく増えた家族のこと。突然現れた、「孫」という小さなギャングのこと。もう帰ってくることはない家族のこと。
「俺には関係ないよ」という顔で、全てを見ていた。
彼の生涯は、父の夢だったこの家と共にあった。
彼も父の夢の一部なのだ。
そして今日もこうして家族の一日を見守っている。何も言わなくても、それを家族皆が知っている。
(2012年3月)

実家では猫を飼っていた。「飼っていた」という過去形になった。
昨夜母から、猫が他界したと連絡があった。
17、8歳なので人間で言えば80〜90歳ぐらいになるのだろうか。若い頃には近所の猫との武勇伝も聞いたことがあるが、もうすっかり老いてしまい、ここ数年は毎日どこか家の中で居心地のいい場所を見つけ、日がな一日眠っていたそうだ。腎臓を悪くしており3日間入院していたが、最期は病院で息を引き取ったそうだ。





僕は、彼と一緒に暮らしたことはない。いつも会うときは僕は「お客さん」で、彼の天敵の「猫嫌いの人間」のひとりだった。
猫は、僕よりも実家の家族たちとは「家族」だった。この家ができてから起きた多くのことをその生涯に刻んでいた。分かち合った喜びと悲しみの数も、僕よりも多いはずだ。きっと彼がそこにいるだけで、母も妹も心が安らいだことがあっただろう。晩年の彼の存在は、母や妹たちの会話を繋ぐ役割を果たしていた。いつも家族は顔を合わせると、あの子は今日はどこで寝てる?さっきは居間で見たけど…などと話していたと言う。母は、「いつも癒されていました」と訃報に添えて書いていた。
彼は、父が果たせなかった、家族を見守るという夢を、その生涯で果たした。できの悪い、猫嫌いの長男の代わりに。


元来猫が苦手な僕には、猫について語る言葉はあまりない。だが、若い頃、自分が猫好きだったら良かったのに、と思える本を読んだことがあった。その中にこんな一節がある。

ただし、ピート*2は、どの猫でもそうなように、どうしても戸外へ出たがって仕方がない。彼はいつまでたっても、ドアというドアを試せば、必ずそのひとつは夏に通じるという確信を、棄てようとはしないのだ。
そしてもちろん、僕はピートの肩を持つ。
ロバート・A・ハインライン夏への扉

なれなれしく君の名前は呼ばない。僕らは最後まで他人行儀だったから。でも、ひとつだけ言わせてくれ。

母さんを、妹を、見守ってくれてありがとう。
そして、旅立つ君に、夏への扉があらんことを。

いつもの道を通って家に帰り着くと、アパートの前の駐車場に猫の親子がいた。*1
ぶちの母猫、中くらいの白猫、黒い子猫の三匹だ。
黒猫はたぶんまだ産まれて間も無い。先月くらいからこの辺りで見るようになった。野良猫嫌いの妻は「また猫が増えてたよ」と文句を言っていた。

ぶちと白猫は僕の姿を見るとさっと逃げた。
黒猫は、まだ人間を恐れることを知らないのか、二匹の動きに気が付かずそこにじっとしていた。
僕は、脅かしたら可哀想だな…と思って足音をできるだけ立てずに迂回してアパートに向かった。

先に逃げた白猫は少し離れた所から黒猫を見て、小さな声でニャーと鳴いた。
たぶん、「危ないよ、こっちにおいで」と言っていたんだろう。大きな声で鳴かなかったのは、僕という外敵を刺激しないためだろうか。
黒猫は白猫の声に気が付き、そちらの方にとことこと歩いて行った。それを見てちょっとほっとした。
猫もこうやって学んで、外で生きる術を身に付けるのだろう。

猫だって境遇はさまざまだ。
蝶よ花よで人間に飼われる猫もいれば、この黒猫のように周りの人間に嫌われながら生きる猫もいる。
猫も人のようにそんな己の境遇を呪ったりするだろうか。
それは分からない。
だが、さっきの黒猫がまだ人間を恐怖の対象として理解していなかったように、子猫はまだ、自分が「野良猫である」ということも分かっていないだろう。

生まれつきの野良猫はいない。だがさっきのような経験を積み、いつかは黒猫も自分が野良猫であることに気が付くだろう。
それを嘆いてもどうにもならない。その境遇なりに生き抜くしかない。
そこは猫も人間も同じだ。

じゃあ、またな、と黒猫の後ろ姿に小さく声を掛けて僕もアパートに入った。

*1:本当の親子かどうかは知らない