大丈夫だよ


これは昔、幼稚園を不安がる子どものために家内が髪留めゴムに描いたお守りだ。
「だいじょうぶ」と書いてある。

「だいじょうぶ、こわくないよ」なのか。
「だいじょうぶ、あなたなら」なのか。
「だいじょうぶ。いざとなったら母が出るから」もあるかもしれない。
とにかく、母親の無限の愛情と信頼を感じさせる言葉である。

子供がまだ小さい頃に、走っていて転んだりとか、痛い思いをする瞬間に何度か遭遇した。そんなに無茶や無分別なことをする性格の子ではなかったので、それも数えるほどのことだが。

僕はいつも同じことをした。いずれの場合でもすかさず高く抱き上げて笑った。笑って「いたかったねー、でもだいじょうぶだよ。だいじょうぶだいじょうぶ」と言うようにしていた。
深い考えがあるわけではないが、親が笑ってたら、「あれ?ワタシ今派手に転んだけど、メッチャ痛いけど、なんなら膝から血が出てるけど、なんか父ちゃん笑ってるわ…。父ちゃんがこんなに笑ってるってことは、さっき転んだけど、まだメッチャ痛いけど、これってワタシが思ってるほど大したことじゃないってこと?そういうこと?」と子供が考えるかどうかは分からないが、とにかく、なんとなく大げさにノリで誤魔化して子供を「深刻」にさせないようにした。
もちろん親だから、子供が痛い思いをしたら可哀想だとも思うし、心配する気持ちもある。
だが、逆に親が心配すればするほど、「自分には今大変なことが起こっているのだ」と子供は考えてしまうのではないかと思い、いつもそうしてきた。
もちろん、「だいじょうぶ」と言う根拠なんて持ってない。それを「親が言っている」ということが肝要なのだと思い、そう言っているだけである。

大人になると、これは通用しなくなる。「だいじょうぶ」の根拠を考えられるようになるからだ。今、小学生になった子供に「大丈夫だよ」と言っても、昔のようには安心感は与えられないかもしれない。

でも、機会があれば僕は言うだろう。「だいじょうぶだよ」と。
人間には、そうやって傍にいて根拠もなく「大丈夫だよ」と言ってくれるような人が必要だと思うからである。