やさしさ

日々のあれこれにかまけてずっと書けずにいたが、8月に実家に帰省した。
いつものように親戚に挨拶に行き、友達と会い、父と末の妹の墓参りをし、上の妹や母と話した。

実家を出て、10年ぐらいたった頃からぼんやりと考えていたことがあった。
「僕はあと何日母と過ごせるのだろう」ということだ。
帰省のたびに、この時間は僕と母に残された大切な時間なのだと思うようになった。

そして、ここ数年来のことだが、母に会うたびに時間の別な(残酷な)面を感じるようになっていた。

だんだん、会話の中で僕の言葉を聞き返すことが増えてきた。動くことがゆっくりになってきた。同じことを二度三度と話すようになった。子供との遊びに付いてくることが減ってきた。
こういったこと一つ一つに気が付くたびに、母がもう70を超えているのだ、ということを改めて突き付けられる。
母と会うたびに、時間の経過がせつなく感じる。
誰にでも平等に流れているはずの時間が、時に残酷に思える。

勝手な言い分だとは分かっている。世界には個々の事象の営みがあるだけで、「時間」なんて人間が考えた概念に過ぎない。残酷なんて勝手な考えだ。

僕は毎朝、父と妹の写真に手を合わせ、行ってきますを言う。
仕事が終わって家に帰ると、手を合わせただいまを言い、今日の報告をする。
もう意識せずにそれができるようになった。
(うまくいかなかった日の報告では、弱音を話すこともあるが)
何かの折に胸がずきりと痛むことはまだあるが、少なくとも毎朝夕の挨拶は穏やかな気持ちでできるようになった。
これも時間の経過がもたらしたことだ。

帰省の折に母と娘で写した写真を観た。
母と娘は笑っていた。
僕は母によく似ている。そして娘は僕にそっくりだ。
まるで母の来してきた時間を再現するように、写真の中の母と娘の笑顔は瓜二つだった。

そして5年前、母の肩までしかなかった娘が、今では母の背を追い越していた。
母と僕、そして僕と娘。親子三代の歴史を描く、やさしい時間がそこには流れていた。

帰省の最終日、駅まで母が送ってくれた。母は車を運転しながら、「まあ、なんとかやってるから。年金ももらってるし、少しは仕事もしてるし。心配しなくていいから」と言った。心配かけどおしの子供だった僕が、今では母に心配はいらないと言われている。こういうところが親子だな、と思う。

篤子、また一年が過ぎた。
僕らはこんなふうに生きているよ。
迷うことも、悩むこともあるけど、毎日笑っているよ。