卒業

3/16は小学校の卒業式だった。
その日は有休を取り、朝から早起きしてスーツを着込み、まだ春の到来には程遠い寒空と雨の中、学校に出かけた。

自分の小学校の卒業式のことは何しろもう30年以上前のことなのでまったく覚えていない。家内は自分が卒業した母校ということもあり(校歌も一緒に歌っていた)別の感慨があるのかもしれないが、僕の目にはひたすら全てが新鮮だった。我々団塊ジュニアと比べると子供の数は半分程度で、全ての子供にスポットライトが当たるような式だった。

式次第には卒業生の一覧が記載されていた。半数の名前が読めない。読めないというか、知らない漢字ではないのだが、確信が持てない。僕が子どもの頃からあった名前の子が少ないせいである。読みとしても漢字の組み合わせとしても、僕が知っている日本人の名前のパターンには存在していないものだ。
僕は地名などで読めない漢字があるとワクワクする性質なので、楽しくてしょうがなかった。

うちの子は両親に似たのか体格がいい。
身長は小6にして168cmある。
体重は……ここでは書けない。が、そこそこある。

家内は入学前には2月末生まれの我が子のことを、他の子より遅生まれだから勉強や成長でハンデがあるのではないかと不安におもっていたようである。僕は3月末(あと数日で一学年下だった)生まれで、それでも発育(少なくとも体格面では)同級生の誰にも引けを取ったことはないので、まあ問題ないだろうと思っていたのだが、我が子の発育は両親の想像を遥かに超えていた(両親の小6の時より大きい)。

我々両親もそうだったが、幼いころから発育のいい子供には、それに関しての逸話がある。我が子の逸話の中には我々両親が経験したものもあるが、こちらも両親のものよりスケールが大きかった。

小学校入学してすぐに、三年生の知らない男の子から、「きみ、四年何組?」と訊かれた。

六年生の時体操服を着て校内を歩いていたら、一年生から「えっ、生徒だったの?」という目で見られた。

昨年、小学生にはお菓子を無料であげます、というイベントに参加した。
受付に行くと係の人が我が子をじっと見て、「ま、いっか」と言ったそうだ。


式が終わり、クラスに戻った。
ランドセルに寄せ書きを書いている子たちがいた。
色々書いたが体格に似合わずおとなしく引っ込み思案の性格なので、クラスの子たちとどんな関係を築けているのだろうかとはいつも気になっていた。
さすがにグループの中心ということはなかったが、隣の男の子(6年間一緒のクラスの子だそうだ)と楽しそうに話していた。
ああ…よかったなぁと思った。

先生からの最後の言葉が終わり、サプライズで今度は子供達から先生に花が送られた。
この子たちはほぼ中学で一緒だ。ただ一人残される先生はどんな思いで教え子たちを見送るのだろうか。
そんなことを考えた。

家に帰り、もらった卒業アルバムを見た。
式同様、おそらくどの親がみても「我が子がいい顔で写っている」と思える写真ばかりだった。

アルバムの最後は白紙になっていて、寄せ書きが書けるようになっていた。
何人かの子が我が子にもメッセージを書いてくれていた。
一番最後のメッセージが僕の目を惹いた。
かな釘流の文字でこう書かれていた。

そうか、君はやさしい人に育ったんだね。
ここでの時間は僕には見えないが、きっといい六年間だったんだろう。

いい式だった、本当に。