夜の高速バスで見知らぬ青年とすれ違ったこと

最終のバスに間に合うように小走りで急いだのだが、いつものようにバスは少し遅れて来た。
バスのタラップを上がりながら、定期はコートの左右どちらのポケットに入れただろうかと探していたら、ふと一番前の座席に座っている人が目に入った。
まだ若い。20そこそこぐらいだろう。ぼさぼさの頭に黒いスーツを着ているが、着慣れていないのが見て取れた(うまく喩えられないが、あえて言えば、サッカー選手が試合後に無理矢理スーツを着ているような感じか)。
定期は右のポケットに入っていた。リーダーにタッチすると、空いている席を探した。
先ほどの彼の横を通ると、彼は首を垂れて何かに見入っていた。
それは寄せ書きのメッセージで埋められた一枚の色紙だった。

真ん中に赤いペンで大きく、

「東京にビビって帰ってくるんじゃねえぞ」

と書いてあった。
その色紙を彼はじっと見ていた。
表情は伺えない。

見ると、彼は横の座席にも座っている後ろの座席にも、スーツケースやボストンバッグを積み上げていた。ボストンバッグの持ち手に白いベースボールキャップが留めてあるのが、「普段」の彼を少しだけ伺わせるが、それ以外事情を語るものは無かった。
別に観察をしようと思った訳ではなく、これらは彼の横を通った一瞬の間に目に留まったことたちだ。空いた席(彼が荷物を置いた席の後ろ)に座った。
彼は旅立つのだろう。この時間からなら、おそらく夜行バスだ。

少し羨ましくなった。
僕もこれまで進学や就職や転勤で何度か移住しているが、それらはいつも突然だった。
彼のように若い頃には仲間に見送られたことは無かった。

「初雪の 今年限りの米子の雪を 溶かさぬように胸にしまわん」

高3の時に現国の授業で短歌を書く課題を出され、こんな句を詠んだ(こういう創作をやらせるのが好きな先生だった)。
受験で県外の大学を志望していた(僕の偏差値の問題でそうなっただけで、別に出たいと切望していたということでもなかった)のでそう詠んだのだが、その時は、まさか本当にそのまま家を出て「今年限りの雪」になるなどとは思っていなかった。
転勤で東京に行くことになった時もそうだった。その後10年以上も東京で働くことになるだろうとは想像もしていなかった(要するに何も考えていないのだ)。

「東京にビビって帰ってくるんじゃねえぞ」

僕はどうだっただろう。
ビビって帰ってきたんだろうか。そうかもしれない。

と、こんなことを何となく考えていたら、ある恐ろしい考えが頭に浮かんだ。
彼は、「ビビって帰ってきた」ところではないのか?

…いや、そんな筈はない。
そんなことを考えるのは彼と彼の仲間たちに失礼だ、やめろやめろ…
と思ったのだがすぐ考えは変わった。

それでもいいじゃないか、と。

彼が希望と畏れを抱いて東京に向かう途中でも、失望と悔恨を抱えて帰ってきたところでも、どちらでもいい。
若い頃に、寄せ書きを書いてくれるような仲間と、それをじっと見つめるような時間を持っている。それで十分、いいことだ。

バスが着いた。彼の横を通ると、もう色紙は見ていなかった。
僕は先にバスを降りた。

見知らぬ青年で、今の僕が言うのもおこがましいが、彼に幸あれ。
彼の仲間たちにも。