ありがたみ

僕は、水の綺麗な地域で育った。
どのくらい綺麗かというと、
「ミネラルウォーターのブランドとして使われるほど」
だと言えば分かってもらえるだろう。
・サントリー天然水<奥大山>
他にも、地元の水道局が水道水(原水)をペットボトルに入れて売っているそうだ。
・ペットボトル水“よなごの水”を販売しています
こんなことが可能なほど水が綺麗だということである。

ただし、地元にいる頃はそんなことを意識することはなかった。
「日本人は水と安全はタダだと思っている」という言葉があるが、そもそもこういう揶揄の言葉に使われるほど水道水というものが日本人にとって「あって当たり前」の存在であった。その意識は僕の地元でも別に変わりはなく、僕も周りの人たちも北斗の拳のモヒカンみたいに「水道水UMEEEEEE!」とか言いながらタンクの水を頭からかぶるような真似はしていない。
(まあ、他の地域の実態を知らない、ということもあったが)

僕は地元に18歳までいて20代前半で上京した。ではそこでかねてから聞いていた「都会の水はまずくて飲めない」という現実に直面したのかというと、別にそんなことはなかった。
僕はそもそも水の味がよく分からなかったからだ。

モノの価値が分からないというのはさみしいことだが、ある意味それは気楽であるとも言える。
(人間、こだわりが多いほど人生が不自由になるというのが僕の考えだ)
すいません、ありがたみの無い人間で…

*1

*1:現在は地元でもウォーターサーバレンタルの会社が進出しているようだ。