「食う」ことを考える

子どもの頃に考えていた。
「大人になって会社からお金がもらえるようになったら、一生分のカンパンを買おう」と。
これは僕の性格に由来する。

僕は極めて臆病で保守的な人間だ。子どもの頃からそれは変わっていない。
だから、できるだけ人生に保険をかけておきたいと思っている。
例えばこんな考え方をする。

  • 麻雀をやっていても配牌に三元牌がトイツであるとこの上なく安心する。
  • 番組の「再放送」があると気がラクだ。
  • 仕事でも「再校正」「再々校正」がないと不安だ。
  • 常に「清書」を要求されるボールペンや万年筆より、シャーペンが好きだ。
  • 「バックアップデータ」のバックアップを取ることがある。
  • クルマよりバイクが好きだった。事故を起こした時の被害が自分だけで済む可能性が高いと思ったから。


そんな性格なので、「人間、食べるものがあれば最終的には生きていけるだろう」という、保険をかけておく意味から、「一生分の食べ物を用意すれば安心だ」と思ったのである。
もちろん、食えてるだけで人間は幸せなのかというとそんなことはないわけだが、最低限食わないと死んでしまうというのは確かだ。
(なぜ「カンパン」なのかというと、もちろん長期保存ができるだろうという考えからだ)

便利なサービス、きれいなデザイン。
どれもこれも、まず「食えている」から享受できる。
それが当たり前の前提になっている日本は素晴らしいのだが、それもいつまで続くかは誰にもわからない。
クラウドみたいに「自分用の食料貯蔵庫」を持つ時代もありえるかもしれない。