「リメンバーしまね」に見る、「特徴にすれば武器になる」ということ

ちょっと前のことだが、togetterにこんなまとめが上がった。

乙武洋匡「障害ネタは、“自虐”なのか」

Twitter乙武さんが自身の障害を笑いのネタにしたpostをしていて、それを見たフォロワーたちとのやりとりである。中にはこういうpostは見たくないという意見もあったが、乙武さんの見解はこうだ。

僕が自身の障害をマイナスに捉えていれば、これまでの数々のツイートも“自虐”になるのかもしれない。でも、僕は自身の障害をただの“特徴”に過ぎないと考えている。だから、自分を貶めているという感覚はまったくない。ただ、自分の特徴をネタに、笑いを取ろうとしている。そういう感覚なのです。

僕自身は上記の乙武さんのpostを見てまず「強い人だ」という感想を持った。が、改めて一連のまとめを読むとこの「強い」という感想自体が(乙武さんからしてみると)的外れなんだろうなということは理解できた。それは「障害=気の毒なもの」という前提から発せられた感想だからだ。(マンガ「ブラックジャックによろしく」でもこういうシーンがあった。障害があることが胎内で判明した胎児を中絶しようとする父親に対し小児科医が「障害でなない、それは個性だ」と言い放ったのだ。)

そして僕は乙武さんのこの発言を見てあるものを思い出した。

リメンバーしまねである。
「リメンバーしまねは、日本で最も知名度の低い県である島根県の応援団の総称である。(wikipedeia)」
要するに島根県の地域振興運動なのだが、これまでのその手の活動にありがちな「いいでしょ?すごいでしょ?だから○○に来て!」という切り口を捨てて、日本一の知名度の低さ(これには少し異論があるが)を前面に押し出した。
知名度ランキング、出身者の知り合いが一人もいない県、島根って右?、左? など、この手の「印象の薄さ」には事欠かない島根ならではの作戦だ。
ここまでやれば、「特徴」になる。
そして特徴を押し出せばそれは「武器」だ。

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普段「自分はここがダメだなあ」と考えているところはないだろうか。
そしてそれは、本当に「ダメ」なところなんだろうか?(考えてみて「やっぱりダメだった」となる可能性は否定できないが)
それを問い直してみるのもいいかもしれない。

(以下蛇足)
なんでも島根と張り合うことを宿命づけられた鳥取出身の身である。正直言うとこれが島根県から出たことに一抹の悔しさを覚える。ただ、この企画が島根から出たことの理由はなんとなくわかる。
それは島根が「全国2番目の」田舎だったからだ(1番はもちろん鳥取である)。
鳥取はもう名実ともに日本一の田舎の地位は揺るがないので「田舎」を打ち出す必要はあまりない。しかし島根の「田舎度が全国で2番目」というポジションはワーストほどのインパクトがあるわけでもなく、したがって知名度に貢献するわけでもなく、要するに印象に残らないので非常に座りが悪い。これを払拭する必要があったのだと思う。それは実に正しいし、実行したことも見事だと思う。

次は山陰のバランスを取るため「大山」を「だいせん」と読ませるプロジェクトについてリポートしたい。