ここにいる

今回書くのは夏休みの帰省についてであるが、その前に、最近のことに少し触れておこうと思う。

ジブリ映画「風立ちぬ」が大きな話題を呼んでいる。宮崎駿監督の5年ぶりの映画ということでメディアの注目度も高く、ジブリの名を耳にしない日はないほど、テレビでもラジオでも連日のように取り上げられていた。

この映画の主題歌が荒井由美の「ひこうき雲」だ。
僕はこの曲のことをまったく知らなかった。
なのである日のラジオから「風立ちぬ」の主題歌という触れ込みで突然この曲が流れてきた時も、ユーミンの曲か、ぐらいにしか思わなかった。だが、聴くともなく耳に入った歌の、その中の一節が引っかかった。

「あの子の命は ひこうき雲

荒井由美独特の硬質な、都会的な声がそう歌っていた。

僕は少し作業の手を止め、頭の中でさっき聴いた歌詞を反芻してみた。
風立ちぬは飛行機設計者の話らしいから、「空に憧れて」といった歌詞が使われるのも分かる。しかし、命が飛行機雲か。まるで妹のことのようだな、と思った。
その時は、それで終わった。

翌日またラジオで「ひこうき雲」が流れた。今度は僕も少し耳を傾けてみた。歌詞のストーリーを追ってみた。
やはりそうだった。
この曲は、若くして命を落とした「あの子」のことを描いた曲だった。

空に憧れて 空をかけてゆく あの子の命は ひこうき雲

そんなふうに考えたことはなかったが、この曲を聴いてから、妹は確かに自由な雲のようだったと気がついた。
そう、妹の命も、ひこうき雲だ。美しくもはかなく、見上げる人の心に一陣の軌跡を残す、ひこうき雲だ。僕らはそれを、猥雑で騒がしくてどうしようもなく穢らわしく、けれども美しい地表から仰ぎ見ている。空の眩しさに時折目がくらみつつも、目を細めて見ている。君は今そこにいるのか?と問いかけている。

*1

8/13〜15で実家に帰省してきた。昨年末に妹が他界して今年は初盆にあたる。妹は嫁いでいたので、実家では特に親戚を集めて何かをしたりする予定はなかった。いつでも都合のいい日に拝みに帰っておいでと母は言った。


半年振りの実家は、母や上の妹たちがこつこつと整理をしていたのだろう、あの時より少し片付いていた。米子は妹と最後に会った一年前と同じように暑く、同じように裏の畑には色とりどりの野菜が実っていた。仏間にはまだ遺骨があり、沢山のお供え物があった。写真もいくつか増えていた。母が「あの子が好きだったから」と帰りに買ってきたくずもちを仏前に供えた。

その日の夜は、妹の友だちが集まって食事会をすることになっていた。病気が発覚した後、「隠しておけないから」と闘病を打ち明けた仲間たち10数名だ。大勢のおもてなしの準備のため、母は大忙しだった。妹と特に親しかった何人かは先に来て準備を手伝ってくれていた。僕も子どもを連れて裏の畑で野菜を穫った。

夜になり、友だちが集まった。
母が、(妹の旦那さんを差し置いて)「あの子もここにいるから、みんなで楽しんでやってください」と挨拶し、そこからは三々五々飲み始めた。
僕は正直、どんな顔をしてここにいればいいのか分からなかった。妹が闘病をしている間、僕はここにいなかった。ここにいる人たちは、僕などよりずっと妹と過ごした時間も長い。絆も深い。何もしてやれなかった僕がうわべの当たり障りのない会話以外に彼らにかける言葉が見つからなかった。

そんなことを考えてしばらく場を見ていたら、あることに気がついた。
誰も妹のことを話していないのだ。
皆一様に最近の出来事や、その場で自然に発生した話題について笑いながら話している。

そうなのだ。
時間は少しずつだが、確実に過ぎているのだ。
誰も妹のことを忘れてはいないだろう。
病気を打ち明けられたときの衝撃も、闘病を見守って気を揉んだ時のことも、他界した夜のことも、通夜の美しい月夜のことも忘れてはいないだろう。
でも違うのだ。おそらく語り尽くす時期はもう過ぎて、さっき母が言ったように、彼らにとって、妹はそこに「いる」のだ。
僕は隣で交わされていた、「母親は息子の性の興味にどのように対応すべきか(相当上品に言うとこうなる)」という話題におもむろに割り込んだ。
「あそこにいるうちのお母さんだって、俺が高校生の時には、学校が終わって家に帰ってきたら隠していたエロ本を机の上に全部出していたことがあったからね」
僕もその場の輪の一人になった。

それからも、和やかな時間が流れた。子どもを連れて来ていた友だちがいて、僕の子どもと一緒に遊んでいた。うちの子が一番の年長だったので、一人っ子のくせにかいがいしく遊んでやっていた。
失われる絆もある。でもこうやって新しく生まれる絆もある。
見てるかい?姪っ子はだいぶ成長したよ。

夜も更けて、友だちは帰っていた。僕らは後片付けをして、それぞれ部屋に戻った。僕と子どもはさっきまで友だちが集まった仏間にお客さん用の布団をしいて二人で寝た。
僕が「小さい子と遊んでやってえらかったな」と言うと「重たくて疲れちゃったよ」と照れたように笑った。
子どもが眠りについた後、仏間に猫が入ってきた。僕の枕元で何度も鳴いていた。もともと外で飼っていた猫を歳のために家の中で飼うことにしたので、今でもこうやってたまに外に出たがる。「出してやれないんだよ。ごめんよ」と言うと、役立たずめと鼻を鳴らして部屋を出て行った。

翌日からは、子どもと遊んだ。家の近所に大きなアスレチックがあるので、熱射病をものともせず二人で駆け回った。夜は大山で行われている大献灯を見に行った。

3日間はあっという間に過ぎた。ここ数年来かつてないほど楽しい日々だった。
僕らは、また日常に戻った。



ひこうき雲」の中で一箇所だけ、引っかかる一節があった。

「ほかの人にはわからない あまりにも若すぎたと ただ思うだけ けれどしあわせ 」

妹が他界した後、故人の気持ちを想像するのは不遜だとは思いながらも、僕もいつもそれを考えていた。妹は「しあわせ」だったんだろうか?と。
それは誰にもわからない。「ひこうき雲」の歌詞でも「ほかの人にはわからない」と、そう言っている。
もちろん早世したということが幸せだったはずがない。それくらいは想像するまでもない。「しあわせだったか?」という問いかけは、せめてそう思って逝って欲しかったという、遺された者たちの願いである。そう思えることによって、遺された者たちは一抹の救いを得る。そして不幸なことだが、救いを得られない者は、自分が死ぬその時まで故人はしあわせだったのかと問い続けることになる。

しかしそんな時でも、僅かだが救いを得られることがあったりもする。

今回の帰省の写真を整理していたら、妹の旦那さんと僕の子どもが並んで写った写真があった。彼にお礼をかねてその写真を送ろうと思って見ていたら、あることに気がついた。
苦笑いが出た。
僕はなんと迂闊だったのだろう。これに気が付かないなんて。
写真の中で笑っている旦那さんの指にはまだ指輪があった。

僕はそれを見て、妹が去った後の彼の過ごした時間と、彼について少しだけ理解ができたような気がした。
妹は雲の中にもいる。仏間にもいる。でもここにもいたのだ。
君は愛されていたんだね。あの時も、そして今でも。

*1:妹と最後に会った日の風景。梅雨明けの美しい空だった。