抵抗く(あが・く)

今日、二つのつぶやきをリブログした。
そのうちの一つがこれだ。

“夜更かしをする理由のひとつに、「今日という日に満足していないから」というのがある”

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子供の頃、朝起きて居間にいくといつも父親がテレビの前で寝ていた。
若い頃の父は、いつも夜10時過ぎぐらいまで働いていた。そして帰宅すると一人で夕飯を食べ、そのままテレビの前で横になって、深夜の番組を見ながらそのまま寝てしまう、という生活をしていた。
いつもテレビは付けっ放しだった。母は、横になったらすぐ眠ってしまうんだから、どうせなら布団に入ればいいのに、とよく笑って言っていた。僕もそんな父の姿を不思議に思っていた。

僕も大人になり、働き始めた。当時の父と同じか、それ以上の時間を働くようになった。
さらに何年か過ぎ、結婚して、子供が産まれて、家庭を持った。
相変わらず毎晩帰りは遅かった。*1
気がつくと僕もテレビの前で寝る日が増え始めた。
そして、ようやく父のしていたことがなんとなく分かったような気がした。
父は、「一日を取り戻したかった」のだろう。
一日の大半を仕事に費やし、夜遅く家に帰ってももう子供と話すこともできない。でももう寝ないと明日も早い。今日も自由時間はほとんどなかった。
父は「自分の一日はこんなものじゃないはずだ」と毎日のように思っていたのだろう。確かに深夜だ。でもまだ一日が終わったわけじゃない。起きていたら、まだ知らない素敵なことが何かあるかもしれない。テレビでは物足りないが、ひょっとしたら面白い番組を観て幸せな気分で今日を終えられるかもしれない。
それが、父と僕が布団に入れない理由だ。一日が終わることを認めたくなかったのだ。だからささやかな抵抗をした。
誰にか?自分自身にだ。

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今日、二つのつぶやきをリブログした。
もう一つがこれだ。

“しょっちゅう言ってるんだけど百歳くらいの爺さんが長生きの秘訣を聞かれた時に「疲れる前に休む、座れる時は座る」って言ってたのを聞いた時に俺はとても感動したんだ。”

なるほどなあ、と唸った。
一日を取り戻そうと躍起になる僕や父のような人たちには、これくらいの考え方の方がちょうどいいのかもしれない。

父は六十二歳で他界した。
晩年の父は役職につき、若い頃のように働くことはなくなった。七時には帰宅し、母と夕飯を共にした。
テレビの前で寝る習慣は止められなかったようだが、これは「寝室にテレビを置く」という逆転の発想で解決したようだ。
父は、少しは人生を取り戻せただろうか。もしくは自分でそう思えただろうか。
できればそうであったことを願ってやまない。

*1:要領が悪いためだ。