追悼

猫とは、我々人間が機能不全な関係を結ぶ、最後で最上の存在である。(ジョン・ブッシュ)*1


実家では猫を飼っていた。父がこの場所に家を建ててからもう17、8年前になるが、猫は家の完成と共にこの家に住み着いた。
家族と猫との出会いはこんないきさつだった。

15年前、市内を見下ろす山のふもとに父は家を立てた。建築場所は会社の近所だったので父はよく建設中の家を見に行っていた。
そんなある時、父は建設中の家の中に子猫が居ついているのに気がついた。父は家族には内緒でそこで猫を飼い始めた。
やがて家は完成し、子猫は自動的にこの家の一員となった。何も知らされていなかった家族はそのことをとても喜んだ。
念願の庭付きの家になり、父は犬を飼い始めた。ビーグルのモモ、イングリッシュセッターの寧々など、多い時で5匹の犬がいた。
10年が過ぎ、老齢になった犬たちは順番に旅立って行った。最後に残ったパグ(父にそっくりと評判だった)も逝き、その数ヶ月後に父も他界した。あの子(パグ)が寂しがったんだろうか…と葬儀の時に言っている人もいた。
猫は老齢になり、サンルーム下の寝床から、室内で過ごすようになった。
猫はずっと家族を見ていた。
元気だった頃の父のこと、若かった頃の兄妹のこと(たまに帰るだけの僕にはまだ他人行儀だ)、本人は否定するだろうが家で一番偉い母のこと。嫁いでいく前の妹のこと。新しく増えた家族のこと。突然現れた、「孫」という小さなギャングのこと。もう帰ってくることはない家族のこと。
「俺には関係ないよ」という顔で、全てを見ていた。
彼の生涯は、父の夢だったこの家と共にあった。
彼も父の夢の一部なのだ。
そして今日もこうして家族の一日を見守っている。何も言わなくても、それを家族皆が知っている。
(2012年3月)

実家では猫を飼っていた。「飼っていた」という過去形になった。
昨夜母から、猫が他界したと連絡があった。
17、8歳なので人間で言えば80〜90歳ぐらいになるのだろうか。若い頃には近所の猫との武勇伝も聞いたことがあるが、もうすっかり老いてしまい、ここ数年は毎日どこか家の中で居心地のいい場所を見つけ、日がな一日眠っていたそうだ。腎臓を悪くしており3日間入院していたが、最期は病院で息を引き取ったそうだ。





僕は、彼と一緒に暮らしたことはない。いつも会うときは僕は「お客さん」で、彼の天敵の「猫嫌いの人間」のひとりだった。
猫は、僕よりも実家の家族たちとは「家族」だった。この家ができてから起きた多くのことをその生涯に刻んでいた。分かち合った喜びと悲しみの数も、僕よりも多いはずだ。きっと彼がそこにいるだけで、母も妹も心が安らいだことがあっただろう。晩年の彼の存在は、母や妹たちの会話を繋ぐ役割を果たしていた。いつも家族は顔を合わせると、あの子は今日はどこで寝てる?さっきは居間で見たけど…などと話していたと言う。母は、「いつも癒されていました」と訃報に添えて書いていた。
彼は、父が果たせなかった、家族を見守るという夢を、その生涯で果たした。できの悪い、猫嫌いの長男の代わりに。


元来猫が苦手な僕には、猫について語る言葉はあまりない。だが、若い頃、自分が猫好きだったら良かったのに、と思える本を読んだことがあった。その中にこんな一節がある。

ただし、ピート*2は、どの猫でもそうなように、どうしても戸外へ出たがって仕方がない。彼はいつまでたっても、ドアというドアを試せば、必ずそのひとつは夏に通じるという確信を、棄てようとはしないのだ。
そしてもちろん、僕はピートの肩を持つ。
ロバート・A・ハインライン夏への扉

なれなれしく君の名前は呼ばない。僕らは最後まで他人行儀だったから。でも、ひとつだけ言わせてくれ。

母さんを、妹を、見守ってくれてありがとう。
そして、旅立つ君に、夏への扉があらんことを。