「公共」とは誰のためのものか

asahi.com(朝日新聞社):ひこにゃんクラブ入りたくて? 彦根のふるさと納税倍増 - 社会

上記を読んで思い出したことがある。

ちょっと前にtwitterでこんなpostを目にした。

〝●●公会堂存続についての署名のご協力をお願いします〟

●●公会堂は僕の地元にある古い建物で、老朽化と耐震構造が基準を下回るため、使用停止が決定されていた。
だが、歴史的・(市内における)文化的価値の高さから、存続を求める声が市民から上がっていた。
そこまでは僕も知っていた。件のPOSTもその活動の一環だろう。

その公会堂は僕にもいろいろな思い出がある。
小学生の頃から毎年必ず1度は観劇や音楽会などの学校行事で訪れていたのはまあいいとして、高校のときは、演劇部と吹奏楽部が合同で毎年行う定期発表会で、「男子部員がいない」ということで演劇部に助っ人を頼まれ劇に参加したことがある。
真夏の夜の夢ライサンダー役だった)

そんなことも思い出し、僕もいきおい署名しようと思ったのであるが、ふとあることが頭をよぎった。

〝改修費はいくらぐらいかかるんだろう〟

ネットで上記の関連記事を探したところ、以下のようなことが分かった。

両施設を合わせた耐震改修費用は照明や空調など設備の更新を含めると約13億6500万円(うち耐震工事費7億8700万円)が見込まれる。

僕はこれをみてうーんと思ってしまった。
あれだけの建物だし、改修費は相当かかるだろうとは思っていた。僕が引っかかったのは、「僕は意見を述べる資格はあるんだろうか」ということだ。

僕は今現在地元を出て別の県に住んでいる。当然地元に税金は払っていない。
地元に納税をしていない僕が地元の税金の(しかも、かなり大きな額になる)使途について、いくら思い出があるからといって物申すのは正しいことなんだろうか。
もちろんたとえ一票とはいえ署名自体はパワーになる。存続推進派にはそう思うだろうし、僕も同じ心境だ。
ただ、改修費の予算で削られる事業について、そのマイナスの負担を地元を出た僕は受けることがない。

そのマイナスを引き受けない立場で、僕は何かを言っていいものなのだろうか。
そこを悩んだすえ、結局署名はしなかった。
もし、〝募金〟という形でいいのであれば、わずかでも参加したいとは思う。