見える人

前にNHKで「日本の、これから」という番組を放映していた。
一般人参加型の討論番組で、今までも色々なテーマを取り上げている。
その時観ていたテーマは「働く」ということについてで、派遣の待遇や長時間労働成果主義の功罪など、いくつかのテーマについて討論を行っていた。
どの主張が正しいかとか、誰が悪いとかいうような結論を出す番組ではないのでそれはいいとして、パネリストの一人のある教授の発言が興味深かったので書いておく。
景気がいいのは東京だけで地方にはいい仕事がない、という一般人の主張に対し、この教授は「いい仕事のある場所に行けばいい」と言った。
この発言に会場は大ブーイングで僕もそれを言っては実もフタもないだろうと思った。だが、ではこの発言の何が悪いのかと考えると有効な反論が思い浮かばなかった。

と思っていた。だが違った。
とっくに答えは分っているのに、言えないだけなのだ。
それを気付かせてくれたのはこれだった。

堀江貴文氏の語る、「インフラ格差」と「田舎の欺瞞」

これは参る。人によっては自分の現在までを否定されているように聞こえるだろう。
場所を問わず言えば上記の教授のようになりかねない。
しかしこれは正論だ。田舎出身の僕でもそう思う。

堀江貴文氏がすごいなと思うのは、しがらみや常識など凡人がつまづくところをやすやすと超越しているところだ。
言動もものの見方も非常に論理的で合理的である。だから前提として共有しているものも違う。

こういう人も人間である以上葛藤するだろう。ただし彼や彼女の葛藤は「なんでみんなはこれが分からないんだろう」という一種の疎外感に終始するのかもしれない。
とらわれない目で見ればそう見えるのに、他人には自分と同じものが同じように見えない。普段の生活でも苛立つことが多いのではないだろうか。