MACのユーザ体験について

(よくあるMAC礼賛の記事です。目新しいことは何一つありません(本当にありません))

昔の話。PowerMac G4(350MHz)がリリースされた時に、性能がスーパーコンピュータに該当するので共産圏への輸出規制に引っ掛かる、みたいな話を聞いて、じゃあ北朝鮮に密輸する時には「弾道計算Pro」みたいなソフトをバンドルするのかしらなどと友達と話していた。
で、それから何年か後に、当時の上司がG4のQuickSilverを買うということで今使っているグラファイトG4を買わないかと持ちかけられ、モニタ込みで譲ってもらった。
こうして僕はスーパーコンピューターを所有することになった。

それから8年ぐらいたち、かつてのスーパーコンピューターもハードとソフトの進化にはついていけなくなり、僕は家内と子どもから「YouTubeが見られない」「Flashのバージョンを上げろ」とブラウザの警告のように毎日突き上げを喰らうようになった(iPhoneも繋げることができない)。

そこで昨年末思い切ってiMAC(21)を購入した。
*1

僕はこれまでもPCの購入を検討していたが、家での用途を考えたら安いWindowsPCでいいかなと考えていた。
勉強用の環境を作るにしても現在はいろいろなものがフリーで手に入る。また、どちらにしろG4の時のアプリケーションは現行機種のMACでは動かないのだ。
しかし、iMACを購入して使ってみてその考えが間違っていたと痛感した。
「家での用途を考えたら」MACにするべきだ。

僕が今回、やはりMACというのは細部まで優れた製品だと感じたのは、写真の整理をしていた時だ。
MACには写真管理用としてiPhotoというソフトがインストールされている。これは、iPhoneを繋げたら中に保存されている写真をイベント(撮影日付で自動的にまとめられる)ごとに振り分けながら勝手に保存してくれる。
ここまではまあ僕でも予想できる(これだけでも大変便利だが)。予想できるので保存された写真をしばらくそのままにしていたのだが、昨日あるイベントの中を見ようとしてサムネールをクリックしようとしたら驚いた。
サムネールの上でフリック操作をしたらそのイベント内の写真をスライドで次々に見ることができたのだ。
これは小さなことかもしれない(たぶんそうだろう)。しかし僕にはあらためて「MACはやはり使いやすいPCだ」という強烈な「ユーザ体験」をもたらした。

Appleの製品について語られるとき、よく「ユーザ体験」という言葉が使われる。
一般的に言うと、ユーザ体験は製品に対して各々の最適な使い方を見つけ出した上で得るものだろう。
だが、Appleはユーザ体験のモデルをあらかじめ自社で規定し、それを「提供」できる。
これはすごいことだ。

Appleの提供するこの導線はMACiPhoneの自由度の低さとして語られることもあるのだが、「ゴチャゴチャ機能を付けたとしても、結局普段使うのはこのぐらいじゃね?」という思想で機能を限定し、ユーザをその導線に乗せているが、その「このぐらい」がまさにその通りで気持ちいいのだ。

これでまた何年も(経済状況的に)iMACを使うことになるのだろう…

*1:(現在のうちの経済状況からしてみたら、本当に「思い切って」だ)