人生における心残りなこと
前に、出勤の電車の車中で、入学したての中学生とおぼしき男子二人組みと席 が隣りになった。
体の大きい子と、小柄な子のコンビだった。
(仮に大きい子をナッパ君、小さいほうをべジータ君とする。)
二人は何か話していた。その中で、べジータ君が
「よぅぅ〜、お前ぇぇ〜、卒業したのかよぅぅ〜」(こんなしゃべり方に聞こえた)
と訊いたところ、ナッパ君が、
「おぅぅ〜、バッチリ卒業したよぅぅ〜」
と言っていた。
この位の子達が何を卒業するのだろうとちょっと気になって聞くともなく聞いていたのだが、次にナッパ君は
「最近は“お母さん”って呼んでいるよぅぅ〜」
と言った。
べジータ君は「やったじゃねえかよぅぅ〜、もう“ママ”って言ってねえのか よぅぅ〜」と言っていた。
なるほどなるほど。
これは確かに立派な卒業だ。
実は、僕は常々周りの人たちが両親を「おやじ」「お袋」と呼んでいるのを聞くたびに、この人はいつからそう呼んでいるのだろうと不思議に思っていた。おそらく幼児の頃は「お父さん」なり「ママ」なりだったと思うからである。なにかきっかけみたいなものもあったのだろうか。
ナッパ君の場合はとりあえず「ママ」から「お母さん」になったわけだが、彼も
いずれは「お袋」と言うようになるのだろうか。
ちなみに僕は幼児の頃から「父さん」「母さん」だ。「おやじ」「お袋」の方が 気恥ずかしい。いずれはそう呼ぼうと思っていたのだが、結局卒業できないまま父を亡くしてしまった。
それがちょっとだけ心残りなのだ。