しりとりと温室育ち

先日、子ども(4歳)としりとりをしていた時のことだ。

子どもが
「“ん”がつく(始まる)ことばってないよね」
と言ってきた。

どうしようかな、と迷ったのであるが、
「あるよ。チャドっていうくにに、“ンジャメナ”ってまちがあるよ」
と教えた。

なぜ迷ったのかというと、これを今の歳で教えることは意義のあることなのだろうかという疑問を持ったからである。

一般的に、日本語では“ん”で始まる単語は無いということになっている。
例外もある。例えば僕の叔父さんは青森県の人で、うちに遊びにくるときは青森のお土産をたくさん持ってきてくれる。で、僕がお土産を食べると、
「んめーべぇー?」
と言うが、これは「美味いだろう?」の方言バージョンなので除外してもいいだろう。

ではなくて、“ん”で始まる単語の話だ。
上でも言ったとおり、一般的に日本語では“ん”で始まる単語は無いということになっている。しりとりのルールも“ん”で終わったら負け、というのが一般的であり、幼稚園児だってそのルールを共有している。
でも、実際には“ん”で始まる単語はたくさんある。あるけど、日本語の標準的な言葉には無いので、暗黙的に無いということにしているのだ。
僕が“ンジャメナ”という地名を知ったのは中学の時で、その頃には「なるほど、“ん”で始まる単語はあるのか。あるけど、まあそれでも“おまんらあのしりとりのルールはグローバルじゃないぜよ(龍馬風で)”と周りに言い張るほどのことじゃないよな」と思うくらいの分別はできていた。
おそらく今うちの子どもに、伝統的なしりとりのパワーバランスが崩れるから“ンジャメナ”はしりとりでは使っちゃだめだよと言っても理解はできないだろう。
“ん”で始まる言葉を教えることによりそれを披露して「空気読めない子」と思われたり、それを知らない子から「嘘つき」と言われたりしないだろうか、そんな疑問と懸念がわいたのだった。

まあ、心配しすぎだと自分でも思う。どちらにしても子どもの吸収力は「凄まじい」の一言につきるので、親が家でどんなにブロックしていようと外に出ればいい言葉も、(いわゆる)悪い言葉もどんどん覚えて帰ってくる。決して天才の片鱗も見せないうちの子でもそうだ。そんな我が子を見てパパとママは眉をひそめて
「こうなって欲しくないからうちの子にはクレヨンしんちゃんを見せずにいたのに」
と言ってみてももう遅いし意味もない。だいたい自分の子ども時代を振り返ってみても、子どもなんて悪い言葉ほど覚えたがるし、使いたがるものなのだ。

前に、朝日新聞の日曜版でカルロス・ゴーン氏がコラムを連載していた。内容はビジネス、キャリア、家族、育児と多岐に渡っていて、毎週楽しみに読んでいたのだが、育児について述べた回にこんなくだりがあった(以下、記憶を頼りに要約)。

娘にはボーイフレンドを家に連れてくるように言っています。そりゃ面白くはないですよ。でも、彼女たちが大人になって結婚相手を選ぶ際に、経験不足から必要以上にナーバスになってほしくはないのです。

親は永遠に生きて子どものそばにいてやれるわけではない。子どももやがて何事も自分で決断しなくてはならなくなる日が来る。その時までに「判断する」訓練をするわけだ。これは確かに正しい。
ンジャメナの話とずれたが、まあいいや。

ちなみに、今回改めて調べてみたら“ん”で始まる単語はやはりたくさんあった。

役に立つかもしれない「ん」辞典