華麗とは程遠いけれども(退職と移住のご報告)

私事ですが、このたび11年勤めた会社を退職し、家内の実家のある福岡県北九州市に移住することになりました。
以上です。

あれほどどう書こうか悩んでいたが、事実を列挙すると2行で済んでしまった。
あんまりだ。

前の会社が東京で新規事業を立ち上げるということでその要員(まあ僕一人だけだったんだが)として広島から東京に出てきたのが24歳の時で、それから14年。世紀をまたぎ、総理は7人代わり、僕は3回会社を代わった(理由はそれぞれだが、会社が無くなったり、若気の至りとしか言えないようなことだったり)。
アナログのデザイナー(0.3mmシャーペンで方眼紙にラフを描く)からスタートした経歴は、DTP、製版、自動組版、Webデザインとデジタルにシフトし、さらに企画、ディレクションと多少(多少だ)上流にシフトした。

今の会社には27歳の時から11年在籍した。それまでと同様(期間を考えるともっとだ)色々なことがあった。大手企業の方たちとのおつきあいも始まり、量的・質的に仕事の幅が広がったのもこの時期だ。
会社は駆け込み寺のようなポジションだったので、カテゴリ分類不能の仕事も多かったが、20代半ばまでに必要に迫られて雑多に学んだことがここでは存分に活かせた。

やりがいと同じほど葛藤もあったが、曲がりなりにもやってこれたのは周りの人たちのおかげだと思っている。月並みな言い方だが、社内の方たちにも、お客様たちにも、パートナーのみなさんにも、本当にお世話になった。これには感謝の言葉しかない。
仕事以外では、11年の間に結婚し、子供も授かった。ほとんど仕事ばかりで、今思うと決していい父親ではなかったと思う。反省はしている。

冒頭にも書いたとおり、退職の理由はUターンである。
結果がUターンなのではなく、それが目的だ。

僕ら夫婦は二人とも地方出身だが、子供を育てつつ3人での生活を続けていくのは限界を感じていて、このまま都会に残るかどうか何年か前から話し合っていた。ただし僕が田舎の長男というしがらみがあることと日々の慌しさに流され、結論は出せずにいた。
結局決断のきっかけになったのは震災だった。
震災後すぐに、子供の幼稚園は4月まで休みになった。まだ余震も頻繁に続いていたので、不安がる家内と子供は実家に帰した。一人になって、たまに向こうでの子供の様子などを伝えてくる電話を聞いたりして、考えた。潮時かもしれないと思った。

はっきり言うと、僕は今でも東京とその近郊は安全だと思っている。それは放射線の数値がどうこうという裏付けのある話ではない。計画停電の対応、震災後の物流の安定化の速さを見て、何だかんだと言って東京は一番に守られることが保証された地方だということがよく分かったのだ。もちろん経済状況もそうだ。
だが、それを家族に伝える(説得する)言葉を持つことができなかった。

現在は引き継ぎや身辺整理はぼちぼちと進めている。だが仕事自体はおそらく最終日前ぐらいまで通常通りの進行だろう。福岡でも同じ業界で働くつもりで情報を集めているところだ。
たぬきちさんのブログや「ヨッピーの就職活動ブログ」などの「退職企画」は面白い。ギークの方たちの、キャリアアップのための転職や起業のブログも最近よく見る。
僕の場合はそもそも理由からして違うので、どう書いても華麗だったりコミカルだったりとは程遠いが、ただ、まあそれもこれも含めてこの状況自体が僕らしいといえばらしいのかな、とは思っている。
不安は多少あるが、悲観のようなものはまったくない(今のところはね)。

明日(6/10)は、おつきあいのあったお客様が部署で送別会を開いてくれるそうである。
こちらでの生活もあとわずかだ。

ふりむくな ふりむくな 後ろには夢がない。(寺山修司

前向きなのか後ろ向きなのかはよく分からない。
どっちだろうが向いている方に全力で進むしかない。

※ということで福岡県で就職活動を始めています。土地勘があまり無いので(大学時代は小倉にいましたが)、アドバイスなどいただければ幸いです。餞別なども絶賛受付中です。