少しだけ分かった、子どものこと

現在、こういった理由で求職中である。
社会に出てからずっと会社員をしていたので、こんなに長く家にいるのは初めてのことだ。
そして改めて思うのは、「育児」というものを意識したのも今回が初めてのことかもしれない。
一昔前に「育児をしない男を、父とは呼ばない。」という厚労省少子化対策のポスターがあったが、子どもが産まれてからこのかた家にあまりいられなかった僕もそれは痛感していた(このコピーの考え方には賛否があるようだが)。
下記のようなつぶやきをしたのはそのためだ。

育児の第一歩は「子どもといっしょにいること」かもしれないと改めて思った一ヶ月だった。同じ景色を見て、何も話さなくてもいいから同じ時間を共有して、という経験が子どもにも親にも必要なのだ。

ここ一ヶ月ぐらい子どもと一緒にいて感じたことの雑感を書いてみる。

■できるようになったこと

前の幼稚園はやや知能発育寄りの方針で、専任の外国人先生による英語の授業や、パソコンの授業があったりした。新しい幼稚園は勉強はそこそことして体を動かす方に重点を置いているようだ。実際に見るまで半信半疑だったが、竹馬に乗る子どもを見たときは驚いた。

■ひらがな

ひらがなの勉強をしていたら飽きたようだったので、ちょっとゲームをしてみた。真ん中に子どもの名前を書き、その文字を使って1文字ずつひらがなを書いて単語を作るという簡単なものだ。実際にやってみて、読めるけどまだ書けない字(というより忘れてしまった字)が結構あることに気がついた。
それはまあこれから覚えればいいとして、それより書ける字(「い」とか「は」)だけを駆使して乗り切ろうとしている姿が面白かった。使える技法だけで乗り切ろうとする、という人は僕の周りにもたくさんいた(僕も人のことは言えないか)。

■生命についての認識

けっこう前に、子どもに「大人になったら結婚したいか」と尋ねたことがあるのだが、「おなかを切ると痛いのでいやだ」と答えていた。どうやら家内から「帝王切開」について聞いていたようだった。おぼろげながら「結婚→子どもができる」という認識はもっているようだった。
先日、道の駅でオスとメスのカブトムシを買ってきた。カブトムシはオスとメスを飼育箱に入れておくと卵を産むと飼育書に書いてあったので、そう教えたところ、「カブトムシ、早く結婚しないかな」と言っていた。「性の目覚め」って、最初は「生命というものに対する意識の目覚め」なんだなと改めて思った。
弓月光先生の「エリート狂想曲」で哲也が初めて夢精した時、お母さんが哲也にそのことを説明するシーンがあったが、男の子へ話すのと女の子に話すのではずいぶん違うんだろうな。

エリート狂走曲 1 (集英社文庫(コミック版))

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