「いいね」と「よくないね」

僕は、惑星の写真が苦手だ。
いつからそう思うようになったのかは覚えていない。理由もよく分からない。分からないので「これは生理的なもの(嫌悪感)なのだ」と思うことにした。
なので、iphonetumblr開いてこんな写真がいきなり出てきたらどうなるか。

http://bonnie-yt.tumblr.com/post/14258004126(閲覧注意:地球の表面)

ほとんど乱歩の「鏡地獄」のようなことになってしまう。
で、これはtumblrのメンテ中(twitterのクジラみたいな)の画面であるということはすぐに分かったのだが、僕はここに出ている画像はユーザそれぞれの「嫌いなもの」をtumblrがブラックユーモアで表示させているのではないかと思い、

ついにソーシャルグラフは俺の“嫌いなもの”という属性まで捕捉したのか!!!

と一人で勝手に慄然とした。
その時はいきなり苦手なものの画像を見せられた驚きと「tumblrならそれくらいのことをやりかねん」という偏見とでおかしなことを考えてしまった。
しかし、後から冷静になって考えてみたがネットユーザの「嫌い」とか「苦手」という属性を捕捉することはそう容易なことではないだろう。

「いいね」や「like」など、「コンテンツに対して支持を表明するアクション」はごく普通にいろいろなサイトに実装されている。また、それがユーザ自身の個人的な嗜好として記録される場合があるというということも多くのユーザは知っているだろう。しかし「嫌い」を表明するアクションはあまりない。僕が知っている限りでは、下記しかない。

「よくないね!」ボタンを作ってみた。

ソーシャルな評価というのはユーザの「好き」という投票(「いいね」とかRTとかブクマとか)による加点方式だ。より多くの「いいね」を集めた方が人気のあるコンテンツだと評価される。これは逆に言えば「人気の無いものが淘汰される」という仕組みだ。「好きの反対は嫌いではなく無関心だ」などと言うがまさしくその通りで、興味が無ければユーザはそのコンテンツに対して何のアクションも起こしてくれない。「嫌い」と表明する手段が少ないから、余計にそうなる(よっぽど嫌いなら僕のようにブログなんかで表明するかもしれないが)。だから「いいね」を5個集めたコンテンツが、10個集めたコンテンツより「より嫌われている」のかというとそんなことはない。
Amazon(や価格.comなど)のいわゆるユーザレビューでは星ひとつという評価はできる。これは相対評価の積み重ねだが、コンテンツが整然とカテゴライズされた中で評価同士が比較されるので、より「好かれていない」という判断も可能になる。
なぜ「よくないね」が普及しないのだろうか。上記のブログでも言われてたが自分のコンテンツに「よくないね」ボタンをつける人もあまりいないからだろう。

※と、ここまで書いてきて、あることに気がついた。
「ブロック」の存在を忘れていた。
僕が上でくだくだと書いていた「嫌い」の表明方法はブロックで実現されている。