一年

一昨日、神社に熊手を返納してきた。
家内曰く(初めて聞いたが)、年明け前に返すのが作法なのだそうだ。
神様に今年のお礼をするということについては理にかなったことだと思ったので、作法の是非はともかく行ってきた。

元旦前の神社は僕ら以外誰もいなかった。
手水舎の水は澄明で冷たい。静謐な時間が流れていた。

今年の感想は「また一年生きていけた」ということに尽きるだろう。
格好をつけるわけでも、大げさでもなくそう思っている。
昨年来、「生きている」という、生者にとってともすれば空気のように当たり前のことが、実は当たり前のことではないのだと考えるようになった。
月並みな言い方だが、やっぱりまだ「生かされて」いるのだろうなと思う。

なぜ生かされているのか。
「まだやるべきことがあるから」だろうか。
しかし死は、人間のそんな使命感など簡単に飲み込んでいく。それは僕も見てきた。

やっぱりそれは僕には分からない。
自分が何に、何のために生かされているか。
答えは(多分“自分なりの”だろうが)自分で探すしかない。
それを自らに問うのが「生きる」ということなのかもしれない。

そんなことを思い、手を合わせてきた。
今年もよろしくお願いします。