貴様と俺

K氏は僕が勤めていた会社の社長で、20代の頃に知り合った。
その会社での在籍が11年だったので長い付き合いだったのだが、結局最後までどんな人なのかよく分からなかった。

僕が移住のため退職し袂を分かつことになった時、話のなりゆきではあったが、正直にそう打ち明けた。
「母親に“社長さんはどんな人?”と聞かれたが、“よく分からない”と答えた」
そう言ってみたのだ。

「そりゃそうだ。俺もよく分かんないんだから」

それがK社長の返答だった。

それから数年経った。今日、そのことをふと思い出した。
そうしたら当時は気がつかなかったあることに気がついた。
僕はK社長のことを「よく分からないと思った」と言った。だが、それでは僕は、今まで誰かのことを分かったことがあったのだろうか、ということだ。
そんなことは考えたこともなかった。

社長と部下という立場だったので、K氏とはよく話をした。仕事のことはもちろん、経営哲学のようなものから、仕事を離れた趣味嗜好、僕が家庭を持つようになってからは家族観や父親観など、多くのことを話した。あるものは感銘を受け、あるものは受け入れることができず反駁もした。
そのうえでの結論が「よく分からない」だった。

おそらくそれが当たり前なのだ。違う人間なのだから。
僕は、「いくら話をしても、この人のことはよく分からない」というところまで、誰かと付き合ったことがなかったのだろう。無知の知ではないが、「分からない」ということが分かるためには、それなりの交流が必要なのだ。
そして、それがたとえ肉親であっても、自分と他者との間には越えられない壁がある。

K社長の奥さんが、「社長は、子供に対しても子供扱いしないで一人の人間として扱う」と僕に話したことがあった。
たとえ子供でも、自分と他者には越えられない壁がある。だから敬意をもって、一人の人間として向き合わねばならない。社長はそう考えていたんじゃないだろうか。そんな気がしてならない。
多分、K社長は僕が今述べているようなことはとっくに分かっていたのだろう。

K社長は今どうしているだろうか。変わらずにいることを願いたい。