長いお別れ

さっきまで、人がたくさん死ぬドラマを観ていた。
そのドラマ自体はとても好きで楽しみに観ていたのだが、ドラマの中の死がストーリーを進めるための小道具の一つにしか過ぎないように思えてきて、ちょっと醒めてしまい途中で観るのをやめてしまった。


煙草を吸いにベランダに出ると、月が出ていた。

月を見ると、他界した妹のことを思い出す。通夜の夜が、美しい月夜だったからだ。

闘病の果てに逝ってしまった妹に、「ゆっくり休めよ」と声を掛けたことを思い出す。
もう帰らない、兄妹で過ごした短い時間を思い出す。
そんな思いをした後では、ドラマの「装置としての」死は、空虚にしか思えない。
死は、遺された生者にとっての通過点ではないのだ。