言葉の力(ちから)

僕は(そしておそらく大抵の人間は)言語を脳内に記憶する際に、辞書のようには記憶していないだろう。

「複雑」という単語を思い起こしてみる。
“[名・形動]物事の事情や関係がこみいっていること。入り組んでいて、簡単に理解・説明できないこと。一面的ではないこと。また、そのさま。「―な仕組み」「―な手続き」「―な気持ち」「―な笑い」⇔単純。”
脳の中にはこんな風には入っていない。「用法」を厳密に記憶していることはあるだろうが、大元の単語は何となくのイメージで記憶している。僕が「複雑」という単語でイメージするのは、トゥールビヨンのような精緻な機構である。
同じ言語を話すからといって、各々が言語を同じように解釈しているとは限らない。

そう考えると、誰かが話す言葉から、その人の思いを何%ぐらい汲み取ることができているだろうかと問い直したくなる。
そして、自分の思いはどのくらい伝わっているのか?と考えてしまう。
僕は普段考えていることや感じていることの何%ぐらいを言葉にできているのだろうか。

言葉は、決して確かなものではない。だが我々は、言葉以外に多様な思いを伝える術を持っていない。
では、同じ解釈をしていない人に思いを伝えるにはどうすればいいのか?物理法則を無視して空を飛ぶヒーローに、ザコキャラはどう挑めばいいのか?

そんなことを考えさせられた週末だった。