喪失の存在

今日、妹のお墓ができたと母から連絡があった。いよいよ家から彼女が出て行く日がきた。
嫁いで出てゆき、亡くなってまた出て行く。二度出て行く妹を、母たちはどんな思いで見送るのだろうと考えた。

僕はもう妹の死を乗り越えた、自分は立ち直ったと思っていた。それは半分正しく、半分間違っていた。

確かに、日常はいいだろう。もうむやみに悲しむことも、自分を責めることもなくなったかもしれない。
だが、そうであればあるほど、妹の存在は僕の心の深い部分に沈み、純度を増して残っていっていたということに、今回改めて気がついた。

日常はいい。一人で耐えればいいからだ。

だが、僕らは確かに大切なものを喪失したのだ。どんなに時間が過ぎてもその事実は消えない。その事実が消えないという、いわば「喪失の存在」が、突きつけられる時がある。

妹の一周忌のため実家に帰省した朝、食卓で母たちが朝食を囲んでいた。傍のテレビでは朝ドラの「ごちそうさん」を流していた(家族皆このドラマが好きだった)。計らずも、戦争で子供を亡くしたヒロインめ以子が自暴自棄になるエピソードだった。泥だらけになって震えるめ以子に和枝が「子供を亡くした悲しみは、一年かそこら泣いたくらいではどうにもならしまへん」と言い放った。
誰も言葉には出さなかったが、娘(妹)を亡くした母がこの台詞をどんな思いで聞いたか、その場にいるみんなが考えていた。

日常はいい。
飲み込めば済む。

だが、日常という、確かに見えて実はひび割れだらけの壁の隙間から、ときたまぞっとするような喪失感が染み出してくることがある。

家内の恩師の見舞いに病院に行った時、恩師の奥さんと四方山話になった。
長男なのに家を出た僕に、兄弟はいるのかと奥さんは尋ねた。ええ、妹が三人います、と僕は答えた。
奥さんは罪無く、結婚は?と重ねて尋ねた。

一人しましたが、あいにく一昨年癌で他界しました。僕の脳は淀み無く返答を誂えた。

「いえ、まだなんです」口からは別の答えが出た。
僅かに逡巡した。だが、結局のところ、病室で本当のことを言って誰が幸せになるというのだ、という結論に達した。

僕はもう妹の死を乗り越えた、自分は立ち直ったと思っていた。それは半分正しく、半分間違っていた。
間違っていた、という認識がそもそも間違っていた。
僕は「思い上がって」いた。
悲しみは、僕の裏側にまだいたのだ。