「三角食べ」にみる北条氏康の先見性

北条氏康は、嫡男の湯漬けの食べ方が悪いのを見て「北条家も自分の代で終わりか」みたいなことを言ったそうだ。

最初にこの話を聞いた時、「箸を鉛筆持ちにしてごはんつぶを顔中につけて食べている青年」の絵が浮かんだ。つまりよっぽど行儀の悪い食べ方をしていて、こんな男に家来がついてくるわけがないと氏康は考えたのだろうと思っていた。
今日調べてみたところ、そういう意味ではなかった。

先日1時(だから厳密に言うと翌日だ)いつものように晩飯を食べた。
おかずはかれいの干物だったのだが、我ながら魚の食べ方のあまりの下手さに「我が家ももう終わりかよ…」としみじみと思ってしまった。

ちょっとこの言葉が気に入ってしまった。

客先でビルの四階まで階段を上ったら、とてつもなく息が切れた。
呼び出しのためかけた電話も「…お世話に…なり…ます。………○○様…は。………いらっしゃいます…でしょうか」といった具合だった。
しゃべりながら「我が家ももう終わりだ…」と思った。

北条氏康が言った言葉の真意は、以下のようなことらしい。
湯漬けは普通一度汁をかけて全部食べるところを、嫡男は何度も汁を継ぎ足していた。氏康は

「一杯の湯漬けを食うにあたり、どの程度の湯が必要であるか初めから見通しておく事が出来ない人間」→「先の見通しも立てられない人間」→「こいつが国主では国は滅びる」

という意味で「北条家も自分の代で終わりか」と言ったのだそうだ。
結果的にその予想は当たったのだが。

最近、三角食べができない子どもが増えたと聞く。
おかずの塩辛さで食べる見通しを最初に立て、ごはんの残り量を考えつつ、おかず→汁→ごはん→汁→ごはん→おかず→おかず……と最初の見通し通りバランス良く食べるのが三角食べである。確かに、口の中で味を調節することもできるし、ごはんとおかずの美味しさの相乗効果も期待できる。なにより「プロセス」を想定する教育にもなる。いいことづくめでこれで家運の繁栄も間違いなしだ。