心残り

子供の頃から父とは、あまり話をしなかった。
嫌いだったからではない。忙しくて、 家にいつかない人だったからだ。
父と話をすることのないまま、僕は進学のため家を出て、そのまま社会に出て働き始めた。父とはたまに帰省の折に話すことはあったが、近況報告程度だった。
そして社会に出て10年後、父は急逝した。結局話はしないままだった。
それからさらに10年経った。
10年経ったと一言では言えないほど、色々なことがあった。
今僕は丁度、僕が思春期を迎えた頃の父の年齢になった。
当時の父の目に、僕はどう映っていたのだろう。
そして当時の父は今の僕のように、徒らに増えていく年齢と、それに伴わない自分の現状に苛立ったりすることもあったりしただろうか。
もう、答えを知る術はない(もしそうであったと父の口から聞いていれば、今の僕は少しは気が楽になったかもしれない)。
だから今でも、僕の記憶の中の父は家族を守り、弱みを見せない立派な男のままだ。その姿はもう変わることはないのだろう。
だからあの時もっと話しておけばよかったと、今になって少し悔やむのだ。

朝生観てて

朝生が、日中関係に関する討論だった。パネラーの一人が中国側の論者だったのだが、その人は主張はともかく逆の意味で好感が持てた。99%相手に理があり*1、そしてそれを自分以外(ともすれば自分も)の全員が認めていても、1%に満たない自分の理を100倍に膨らませて話すようなガッツがあった。揶揄ではなく、これが国際社会で日本人に最も足りない点だ。
日本人同士でこれをやったら、間違いなく「意地汚い」と批判されるだろう。大抵の日本人はそれで自説を引っ込めるだろう。
日本人同士ならそれでいい。だが国際社会は、そういったスーパー牽強付会のオンパレードだ。日本人の、高潔にしていれば相手もそれを分かってくれるという国民性は、全く無力なのだ。
ルールを守る人と、ルールを意に介さない人が交われば、ルールを守る人が負けるに決まっている。公園で順番を守らない子供も、道義を無視して覇権を目指す大国も同じ普遍性を持つ。
日本のガラパゴス化で危ういのは技術のことばかりではない。ルールを共有している者同士ならルールに縛られるはずだ、という思い込みについても危惧する必要がある。そういうルール(倫理)で縛られない人たちがいる、という現実を理解できない(僕もそうだ)ことが一番危ういガラパゴス化なのだ。

*1:僕から見ての話

職業倫理

「フォーラムの無料招待状をお送りしたい」という謳い文句で電話をかけてきて、社員の名前を聞き出そうとする電話がかかってくる。これで名前が流れると、数週間後に「○○さんを是非スカウトしたいという社長さんの代理でお電話しました!」という電話がかかってくるコンボか。

僕は「職業に貴賤無し。職業態度に貴賤有り」という言葉の信奉者だったはずだが、こんなことがあると、それも怪しくなってくる。

職業には貴賤はないけど、職業倫理には貴賤があるな、やっぱり。

理由

少年期に、「自分はどうして自分に生まれてきたんだろう」という疑問を持った。
大人になったら答えが見つかるだろうと思っていたのだが、答えは出なかった。
そして親になった。疑問に答えが出ないまま同じ疑問を子供に与えることになったわけだ。
たが、一つ変わったことがある。今まではずっと子供の視点から自分が自分である意味を考えていた。
しかし、僕は自力で選んで自分に生まれついたわけではない。僕をこの世に誕生させたのは、他ならぬ僕の両親である。自分に子供ができて、そこに気が付いた。親の視点から、子供を見ることができるようになった。
そして思った。僕はこの子に僕のところに来て欲しかったんだ、と。
僕の両親もきっとそう考えたはずだ。
自分が自分で生まれてきた理由は、両親が僕を望んだからだ、と考えると、僕でいるのも悪くない。そう思えた。

言葉の力(ちから)

僕は(そしておそらく大抵の人間は)言語を脳内に記憶する際に、辞書のようには記憶していないだろう。

「複雑」という単語を思い起こしてみる。
“[名・形動]物事の事情や関係がこみいっていること。入り組んでいて、簡単に理解・説明できないこと。一面的ではないこと。また、そのさま。「―な仕組み」「―な手続き」「―な気持ち」「―な笑い」⇔単純。”
脳の中にはこんな風には入っていない。「用法」を厳密に記憶していることはあるだろうが、大元の単語は何となくのイメージで記憶している。僕が「複雑」という単語でイメージするのは、トゥールビヨンのような精緻な機構である。
同じ言語を話すからといって、各々が言語を同じように解釈しているとは限らない。

そう考えると、誰かが話す言葉から、その人の思いを何%ぐらい汲み取ることができているだろうかと問い直したくなる。
そして、自分の思いはどのくらい伝わっているのか?と考えてしまう。
僕は普段考えていることや感じていることの何%ぐらいを言葉にできているのだろうか。

言葉は、決して確かなものではない。だが我々は、言葉以外に多様な思いを伝える術を持っていない。
では、同じ解釈をしていない人に思いを伝えるにはどうすればいいのか?物理法則を無視して空を飛ぶヒーローに、ザコキャラはどう挑めばいいのか?

そんなことを考えさせられた週末だった。

長いお別れ

さっきまで、人がたくさん死ぬドラマを観ていた。
そのドラマ自体はとても好きで楽しみに観ていたのだが、ドラマの中の死がストーリーを進めるための小道具の一つにしか過ぎないように思えてきて、ちょっと醒めてしまい途中で観るのをやめてしまった。


煙草を吸いにベランダに出ると、月が出ていた。

月を見ると、他界した妹のことを思い出す。通夜の夜が、美しい月夜だったからだ。

闘病の果てに逝ってしまった妹に、「ゆっくり休めよ」と声を掛けたことを思い出す。
もう帰らない、兄妹で過ごした短い時間を思い出す。
そんな思いをした後では、ドラマの「装置としての」死は、空虚にしか思えない。
死は、遺された生者にとっての通過点ではないのだ。

親という役割 〜母の日に〜

昨日、歯医者に行ってきた。
最後に行ったのは確か8年前である。
虫歯は無かったが相当に歯石が付着していたのと、永年の喫煙もあって歯茎が弱っているらしかった。
とりあえず目に見える歯石の大部分は取ってもらったが、しばらく通院が続きそうだ。
初めての経験ではないが(というか、いつもこうだ)、歯石を取ってもらって実にさっぱりした。これでまた当分は歯に気を遣い、それが過ぎたらまたどうでもよくなるのだろう。毎度のことだ。

歯医者に限らず、あまり病院にかかったことがない。整体には一時期よく通ったが、それ以外のいわゆる「病気」での通院は、一年に一度あるかないかだ。
僕はそれを、「健康だから」だと思っていた。ずっとそう思っていた(まあ、歯医者は別だが。あれは目を逸らしていただけだ)。
だが、40を越え、目に見えて色々なところが衰えてきているのが分かり、自分の考えていたことが間違っていたことだと分かった。
僕は健康だったわけではない。ただ、「若かった」だけなのだ。

たぶんこれは、全ての青年が陥る錯覚なんだろう。そして全ての中年男性がそうであるように、僕もその錯覚から覚めた。
確かに覚めたのだが、それだけだ。だからといって別に何も変わるわけでもない。
病院通いが性に合わないのとセットで、僕は、「長い目で見て体にいいこと」をしようという気になれない。
タバコを吸っているのもそうだし、でたらめな生活習慣を改めようとしないのもそのせいだろう。

世には健康法・体にいい(とされている)ものが溢れかえっている。
なぜだろうか。
当然、長生きをするためだ。
何もしなければ、我々の体は40年もすれば至るところから襤褸が出る。この体を70〜80年保たせるためには、「努力」が必要なのだ。
格好をつけるわけでも、世を拗ねているわけでもなく、僕は「長生き」に執着できないでいる。
昔からそうだった。*1

それではいけないとは思う。僕は親だからだ。少なくとも子供の人生の目鼻が付くまでは死ぬわけにはいかない。
逆に言えば、僕の人生の動機付けはそこが一番大きい。僕に限らず、親というものはそういうものだろう。
そして、親という役割に(多分)終わりはない。母を見ているとそれをいつも痛感する。

67歳の母が昨年、長年乗った軽自動車を買い替えると言った。

「もう一回車検通してもいいけど、これから10年乗ることを考えたら今買い替えた方がいいと思って」

とのことだった。
母の口から「10年後」という言葉を聞けたことが、何とはなしにうれしかった。

お母さん、まだまだ元気でいてください。
親という役割に終わりはないのだから。

*1:僕ぐらいの年齢であれば、まだ「死なない」とどこかで過信しているから、そんなことを言えるだけなのかもしれないが。