いつもの道を通って家に帰り着くと、アパートの前の駐車場に猫の親子がいた。*1
ぶちの母猫、中くらいの白猫、黒い子猫の三匹だ。
黒猫はたぶんまだ産まれて間も無い。先月くらいからこの辺りで見るようになった。野良猫嫌いの妻は「また猫が増えてたよ」と文句を言っていた。

ぶちと白猫は僕の姿を見るとさっと逃げた。
黒猫は、まだ人間を恐れることを知らないのか、二匹の動きに気が付かずそこにじっとしていた。
僕は、脅かしたら可哀想だな…と思って足音をできるだけ立てずに迂回してアパートに向かった。

先に逃げた白猫は少し離れた所から黒猫を見て、小さな声でニャーと鳴いた。
たぶん、「危ないよ、こっちにおいで」と言っていたんだろう。大きな声で鳴かなかったのは、僕という外敵を刺激しないためだろうか。
黒猫は白猫の声に気が付き、そちらの方にとことこと歩いて行った。それを見てちょっとほっとした。
猫もこうやって学んで、外で生きる術を身に付けるのだろう。

猫だって境遇はさまざまだ。
蝶よ花よで人間に飼われる猫もいれば、この黒猫のように周りの人間に嫌われながら生きる猫もいる。
猫も人のようにそんな己の境遇を呪ったりするだろうか。
それは分からない。
だが、さっきの黒猫がまだ人間を恐怖の対象として理解していなかったように、子猫はまだ、自分が「野良猫である」ということも分かっていないだろう。

生まれつきの野良猫はいない。だがさっきのような経験を積み、いつかは黒猫も自分が野良猫であることに気が付くだろう。
それを嘆いてもどうにもならない。その境遇なりに生き抜くしかない。
そこは猫も人間も同じだ。

じゃあ、またな、と黒猫の後ろ姿に小さく声を掛けて僕もアパートに入った。

*1:本当の親子かどうかは知らない

もらいもの

今日、こんなツイートを見た。

これを読み、僕も思いがけず似たような経験をしたことがあるのを思い出した。

数年前のことである。
当時住んでいたマンション(1階)のベランダで座ってタバコを吸っていたら、通りの向こうを歌いながら歩いてくる人声が聴こえた。
僕は座っていたのでベランダの向こうは見えなかったが、声の感じからしておそらく中高生らしい女の子たち4、5人ぐらいだろう。歌の途中だが、聞き覚えのある曲だ。
…そうだ、「小さな恋の歌」だ、と僕が気がつく間にも女の子たちの歌声はどんどんこちらに近付いて来ていた。

いつしか二人互いに響く 時に激しく 時に切なく

歌声は笑いを含んでいた。僕からも向こうからもお互いは見えなかったが、
おそらく彼女たちは笑顔を見合わせながら、誰が言い出したのか分からないこの即興ライブを楽しんでいるのがよく分かった。

僕はすぐにタバコを消して息をひそめた。全くの不意打ちにどうしていいか分からないでいた。
一生のうちでこんな光景に出くわすことなど、そうそうあるもんじゃない。僕の経験の中ででこんな状況に対する対処法は無かった。
とにかく「歌を止めさせてはいけない」という考えだけが頭に浮かんだ。

誰も居ないと思っているはずのベランダで、くたびれた中年男(彼女たちにとって、一番聴かれたくない存在だろう)が
そんなことを考えているとも知らず、彼女たちの歌はサビに入り、僕の前を通り過ぎていった。

“ほら あなたにとって大事な人ほど すぐそばにいるの
ただ あなたにだけ届いて欲しい 響け恋の歌
ほら ほら ほら 響け恋の歌”

その部分は僕も知っていたので、知らず知らずのうちに心の中で一緒に歌っていた。
声は一際大きく、笑い声は一層明るかった。
彼女たちの一人ひとりの胸には、どんな想いが行き交っているのだろうか。そんなことが頭をよぎった。
そして彼女たちは知っているだろうか、仲間とこんなことをできる時間は意外と短いということを。
いや、そんなことは知らなくてもいいか。現在を生きている彼女たちのような存在は、そんな無粋なことは考えはしないだろう。僕だって当時はそうだった。

歌声は少しずつ遠ざかっていった。僕はほうとため息をついた。頭はまだ切ない余韻に浸っていた。
言わば青春のお裾分けという、突然のプレゼントをもらったようだった。
これが今日僕が思い出したことだ。
あれから何年か経つが、今でもあの時の笑いを含んだ歌声は耳に残っている。

親の身勝手

子供が学校でからかわれた話をしていた。笑って話していたので、嫌な体験ではなかったのかどうかよく分からなかったのだが、最後に「ほんとは嫌だった」と言っていた。
話を聞き終わって子供を横に座らせて、お父さんもそうだったから分かるけど、嫌なこと嫌と言えないと、大人になってつらい思いをするよ、と話した。
この話は何度もしてきた。ただもう子供が変わるのは難しいかもしれないと思っている。それでも今日も言った。
子供はうん、と言っていた。それは自分でも分かっているよ、という顔だった。
嫌なことを嫌と言うと、けんかになることもあるよね、と水を向けてみた。
子供はうん、と言い、友達がいなくなっちゃうんじゃないかとこわくなる、と言った。
少し驚いた。小さい小さいと思っていたが、そんなことを考える歳になっていたんだな、と思った。
そしてこれはまさに今の自分の悩みと同じなので、解決できない自分が何を言う資格があるのかとは思いつつ、そうだね、それもよく分かるよ、お父さんもそれを考えて嫌と言えないことが多いから、と言った。
でもね、嫌なことをされて嫌と言って、それで友達をやめるような子は元々友達じゃないんだよ、と言った。
じゃあ、友達はいなくてもいいってこと?と訊かれたので、そうじゃなくて、嫌なことを嫌だと言っても、逆に君が嫌なことをしてしまって嫌と言われても、それでも友達でいられるのが本当の友達だよ、きっとそんな人に会えるよ、と答えた。

子供は、うん、と言った。
そんな子供を見て、やっぱり親子だな、と思った。
子供は変われるだろうか。それは分からない。
変われないのなら、願わくば嫌と言わなければならない状況が少しでも少ないことを願う。君の父親のようにはならないでほしい、といつものように勝手なことを思った日だった。

わるいひと

PCに向かっていたら、付けっ放しにしているテレビから、「後藤健二氏の映像が動画配信サイトにアップされた」というニュースが流れた。
速報のためかどうも要領を得ないが、湯川遥菜氏の画像を持った映像が投稿されたらしい。これは大変なことになったな…とテレビを観ていたら、携帯にLINEの通知が来た。

アッサラームチュニジア南部のサハラの街、メドニンにおります」

ゴウ君からだった。

ゴウ君のことは何度かこのブログでも書いた。高校の同級生で、地元で雑貨屋を営んでいる。
海外の民芸品やアクセサリーなどを取り扱っていて、売っている商品は、全て彼が現地で自ら買い付けたものだ。そのため年に何度か海外に足を運んでいる。行き先もアジア・中東・南米・アフリカと多岐に渡っている(いつもの紹介だ)。彼は数少ない、僕の友達だ。
なんてタイミングだと思いつつ、そう言えば1月末からアフリカに買い付けに行くと年賀状に書いてあったことを思い出した。

なんと返信しようかと思ったが、

「不思議な建築物だね。こういう、歴史的背景が分からないものって、なんか惹かれるな」

と返した。すると、すぐに

ベルベル人のクサールです」

と返信が来た。

さっきの返信にも書いたが、北アフリカの建築物ともなると、何様式であるとか、どの文化の影響を受けているかとか、まったく理解の埒外である。日本の長屋のようにも見えるし、倉庫のようにも見える。*1こういったものを見る機会は普通に過ごしていてはまずないので、素直に感動した。
同時に、そんな場所にいるゴウ君に羨ましさも感じた(勝手なものだ)。しかし、ちょっと我に返り、先ほどの緊急速報のことを思い出した。

「日本人観光客いる?」

と聞いてみた。



「日本人どころか欧米人も全くいない。ジャスミン革命からちょうど4週間、敬遠されているみたいだ」

と返信が来た。なるほど、アラブの春だったっけか。
チュニジアについての知識など僕には全く無いが、ゴウ君にとっては現地の治安にも関わるので、世界情勢を知ることは旅を続けるために必要なことなのだろう。世界を放浪する人間の性もあるだろう。元々旅好きが高じてそれを仕事にしてしまったような男だ。海外など新婚旅行で一度行ったきりの僕には、想像もつかない。

ゴウ君は、「悪い人」だ。
といって悪事を働くとか、性根が曲がっているとか、そういった意味ではない。
他人への影響力が強すぎるのだ。

「そうだよね。今日本では緊急ニュースやってる。後藤さんの動画がアップされたって。」

そう返信した。
すぐに返答があった。

「マジ!イスラム国参加者はチュニジアからが一番多いのでね」

ゴウ君の店は、地元でも人気がある。他にも同様の商品を扱っている店はあるが、卸で入荷している店が多いらしく、高いそうだ。
だがそれよりも、ゴウ君の人好きする人柄が、お客を引き付けるのだ。海外経験豊富で話も面白い。商品のことを聞いてみると、それを買い付けた国の話を面白おかしく話してくれる。今は観光地に店があるが、昔市内の商店街に店を構えていた頃は、中高生のお客も多く、慕われて相談などを受けていたそうだ。僕はそんな話を聞くたびに、「危険だな」といつも思っていた。
ゴウ君のような生き方に憧れる人は多いだろう。組織に縛られず、普通の人なら一生に何度か行くかどうかの海外旅行に毎年のように行き、しかもそれでお金を稼いでいる。海外ではこんなに面白い体験をしている。なんて自由で楽しい仕事だろう!自分も旅が好きだし、やってみたい!
そんなふうに思う人も多いんじゃないだろうか、特に若者には。

「今一番行ってはいけないところじゃないか…。後藤さんの件は、Youtubeに声明が出てたそうだ。まだ真偽は分からないみたいだけど」

ゴウ君に返信した。

チュニジア人は人懐こくていい人ばかりです。ただ急進的なごくごく一部がやっていることなんでね」

しかし、当然だが、ゴウ君のような生き方は誰にでもできるわけではない。海外の生活だって、話に聞く分には面白いかもしれない(もちろんゴウ君も話を選んでしているだろう)、だが、それを仕事にするのは、同じぐらい苦労があるはずだ。パックでガイドつきの快適な旅行をするのとはわけが違うのだ。
だが、それは見えない。なぜなら、(ここが一番厄介だが)ゴウ君はそんなものを苦労だと全く思っていないからだ。
自分が好きなことをしていることの自覚がある。だから旅先で起こったことを何でも笑い飛ばせる。
ゴウ君を見て「自分もああなりたい」と思うのは勝手だ。だが、誰にでもできることではないのだ。

「そうなんだね。君も仕事とはいえ大変だな」

「全く大変と思ってないよ。日々楽しんでおりますので」

「そうか。それが一番だよね」

ゴウ君のような人には、これまでの人生で何人か出会った。自分のカリスマ性に無自覚なタイプだ。そうしようと思っているわけはないが、若者に「ああなりたい」と思わせてしまう。
特にゴウ君のような「引き換えにするものの多い」生き方に若者を憧れさせるのは性質が悪い。それを頭で分かっていても憧れてしまう。
だから彼は悪人なのだ。

ゴウ君から返信が来た。

「今ホテル前警察きた。なんかもめてる。ちょっと行ってくる!」

そう言って(おそらく)ゴウ君は出て行った。苦笑が出た。
なんという自由だろう。こんなふうに見知らぬ国で見知らぬ人たちと僕らの知りえない景色を見ているんだろう。それを思うと、不惑を過ぎて固まってしまった僕の心さえ動揺させる何かを感じた。
やっぱり彼は「悪人」だ。

才能

これはもう一種の才能のようなものかもしれないが、何かを選ぶ時、たいてい「そっちじゃない方」を選んでしまう。

例えば、仕事が終わって帰宅する。家の前で鍵を取り出そうとして、鍵はコートの左右どちらかのポケットに入れていたことを思い出す。右だろうと思って右のポケットに手を入れると、入っていない。朝家を出る時に左に入れていたのだ。色々な場面でこういったことに遭遇する。

対策は簡単だ。自分がこっちだと思った方の反対を選べばいいのだ。
そんなふうに思っていた時期が僕にもあった。

だが、そんなに単純ではないのだ。

右だっけ?左だっけ?と試行錯誤し、右だと思うけど逆にしてみて左を選んでみる。
すると右が正しかったりするのだ。
このように、過程は関係なく、「僕が結果的に選んだ方」が間違っているのだ。

僕が、運命は変えられるという言葉が信用できないのもそのためだ。
単なる言葉の綾だが、変わったとしたら、その結果こそが運命だと思うからだ。

そそっかしさをこじらせると、このようにひねた人間になってしまうという話。

四つ葉のクローバー

子供と公園に行ってきた。

家で仕事をしないといけなかったが、普段あまり遊んでやれていないし、少し遠出をして前から行きたいと言っていた大きな遊具のある公園に行った。

Webサイトで写真を見ただけだったが、公園は期待通りの場所だった。大きな敷地に大型の遊具をたくさん備えている。中でも子供は垂直落下式の滑り台がお気に入りで(高所恐怖症の僕には気が知れなかったが)、何度も並んでは滑って嬌声を上げていた。

ひとしきり遊んだ後、子供が駆け出していった。追いかけていったが、大勢の子供の波にまぎれて見失ってしまった。

しばらく探していたら子供の後ろ姿が見えた。滑り台(さっきの落下式ではない)の下に座りこんでいた。疲れたのだろうか?と思って歩いて行き、どうしたの?と声をかけた。

座りこんで下を向いていた子供は僕を見上げると、「前にね、公園で四つ葉のクローバーを見つけたことがあるんだよ」と応え、また下を見た。唐突な言葉だったが、子供が座りこんでいたのは雑草が茂っている草生えで、視線の先にはクローバーがたくさん茂っていた。

なるほどなと思いつつ、それはすごいなと僕が言うと、子供は「しまっておいたんだけど、ボロボロになっちゃった。でもね、四つ葉のクローバー見つけたけど、ぜんぜん幸福にならなかったよ」と答えた。

ちょっと引っかかった。子供から「幸せ」という言葉を聞いたのは初めてだったからだ。幸せになれなかったの?と聞いてみた。子供はあいまいに地面を見たまま、「だって、かけっこも速くならないし、鬼ごっこでもいつも鬼ばっかりだったよ」と言った。

なんと答えていいか分からなかったので、そうか…とだけ言ったのだが、内心では正直、苦笑が出そうになった。が、子供なりに真剣にそれ(幸福)を期待したうえでのことだったのだろうと思い返し、笑うのはやめた。僕も子供の頃はそんなことを夢見たこともあった。

そして同時に、僕は少し安心した。

今日初めて子供から「幸福」という言葉を聞いた。「幸せ」の意味するところは人それぞれだ。僕は僕の子供が「幸せ」をどういう意味で使っているのか気になった。

しかしさっきの言葉を聞いて、少なくとも今の子供にとって「幸せ」とは、もっと足が速くなりたいとか、「現在の自分や生活+アルファの何か」のことであるということが分かった。子供にとっての幸せは、未来にあるのだ。

当たり前といえば当たり前のことだろう。まだ10年にも満たない何も持たざる人生である。「得る」ことを幸せだと考えるのは当然のことだ。

だが実は、さっき子供に「幸福じゃない」と言われた時に僕はとっさに、そんなことないよ、毎日元気に過ごせているじゃないか、と言いかけた。言いかけて、これは理解できないだろうと思って言うのをやめた。

いや、おそらく理解はできるだろう。だが共感はできないだろう。これは未来のない人間の考えだからだ。もう僕にとっての幸せは「現状がマイナスにならないこと」であり、子供とは逆なのだ。

「なんでもないようなことが、幸せだったと思う」という有名な歌詞がある。奇しくもというべきか、公園から帰って夕飯を食べながら観ていたサザエさんでも、フネさんが「なんにもないことが、一番幸せなんだよ」とタイコさんに言っていた。どちらもよく分かる。これが「老い」だというのなら、確かにそうなんだろう。

だが、それでいい。得ようとするハングリーな幸せもあれば、失うまいと穏やかに見守る幸せもあるだろう。

子供は疲れたのか、帰りの車で寝てしまっていた。が、アパートに帰りつくとまた元気を取り戻してゲームで遊びだした。

僕はそれを尻目に夕飯の支度を始めた。鶏肉があったので子供の好きな唐揚げを作った。

子供はサザエさんを観ながら、いつものように美味しいとも不味いとも言わず、もくもくと食べていた。でも、僕には分かっていた。子供はいつも、一番好きなものを残しておいて最後に食べる。

子供は最後に残しておいた唐揚げを平らげると、僕の顔を見て「ごちそうさま。おいしかった」と笑って言った。僕も「お粗末さま。たくさん食べたね」と笑って言った。

その時僕は、確かに「幸せ」を感じていたのだ。

余所行きの言葉

僕は、父と母から「愛している」と言われたことは一度もない。
かと言ってそれが特異なこととは思わない。もちろん父母に愛されていなかったとも思わない。
今の世代の親たち(僕もその一人ではあるが)は知らないが、僕らや、その上の世代の平均的な日本人にとって、「愛」とは普通、男女間の交情に使われる感情であり、どこまでも余所行きの言葉だった。普段の生活の中で子供にかける言葉ではなかった。
なので小学生ぐらいの頃、アメリカのドラマ「大草原の小さな家」で、インガルスの父さんがローラに「愛しているよ」と言っているシーンを観た時は、子供ながらに違和感を覚えた。僕の知っている「愛」と違ったからだ。冒頭で言ったように、愛とは男女の間でのみ使う言葉だと認識していた。当時の僕が触れていたもので言うなら「一休さん」のオープニング曲などがまさにそれだった。

愛という言葉を人類愛や家族愛という意味で使っているのは「愛の戦士レインボーマン」などはそうだろう。キン肉マンの「心に愛が無ければ」というのもそうだ(哀戦士は歌詞の上では字が違うが、ニュアンスは近いかもしれない)。 愛はヒーローという特殊な役割の人たちの資質だったのだ。

それから数年後に「クレイマークレイマー」でダスティホフマンが子供に「愛しているよ」と言ったのを観た時も、頭では分かってはいたがやはり違和感はあった。loveは確かに「愛」と訳すが、概念はちょっと違うんじゃないかと思っていた。
ではなぜ日本語(日本人)にとって愛という言葉や概念が余所行きなのだろうと考えてみたところ、理由として一つ思い当たることがあった。日本は、上で例えとして出した「大草原の小さな家」と「クレイマークレイマー」の舞台になった国のアメリカとは文化的に大きく違う点がある。
日本には愛という概念を学ぶ機会がないが、他の文化ではその機会を与えるという役割を担う機関がある。それは宗教だ。

日本には道徳があるが、生活に根差したものではない。それでも宗教が無くても「愛」という言葉の辞書的な意味は教えられるだろう。だがそれはただの知識だ。それの意味するところの倫理観を教えたことにはならない。生きとし生けるものにといった普遍的な愛を教えるのに、道徳では足りない。なので僕のように「愛」という言葉に触れたのはJPOPの歌詞でのみだというような子供ができるわけだ(しかも巷では愛という言葉が氾濫しすぎて、価値は下がる一方だ)。 
これが僕が日本では「愛」が余所行きの言葉になってしまったと考える理由だ。要するに使い方を学ぶ機会が無いのだ(根拠が個人的経験に基づいているだけなのは認める)。

僕は愛という言葉のイメージを明確にできないまま大人になった。
それによって苦労したとまでは言わないが、もしかしてこれが愛なのだろうかと言葉にできない感情に戸惑ったことはあった。
その言葉に耐性がなかったからだ。

だから子どもには愛という言葉に耐性を付けさせるため、「愛しているよ」と毎日言うことにしている。