「みんな」という時代

震災後に、色々な人たちがそれぞれの志でスローガンを掲げた。
大きな組織がうたっているものから草の根の活動まで数え切れないほどあるが、比較的よく目にするのは以下のものだろう。

  • 「日本がひとつのチームなんです」
  • 「今、ひとつになる時。」
  • 「kizuna311」(これはスローガンではないが)

比較的よく目にすると言ったが(それは間違いではないが)、上記は僕が恣意的にピックアップしたものである。
これらに共通するのは「古きよき日本の復活」志向だ。

前に『考えるヒット』で近田春夫氏と阿久悠氏の対談を読んだ。その中で阿久悠氏が「昔は100万枚売るというのは大変なことだった。今は100万枚を越える曲はそれほど珍しくはないが、逆にそういう曲はそれを買った100万人以外誰が聴いているのかよく分からない」みたいなことを言っていた。
団塊ジュニア世代の僕にとってはこれはおぼろげながらもうなずける話で、僕が子どもの頃ぐらいまでは、「みんなが聴いている」曲というのは確かに存在していたように思う。
サザエさんのオープニングの歌詞に「♪みんなが笑ってる〜」という一節があるが、「みんな」という言葉で色々なことが説明できるような時代だった。「みんな」の時代は、日本はひとつだった。ひとつというのは、生き方のモデルや嗜好が画一的というであり、そこを外れなければ幸せでいられたということだ(日本と言う国の規模を考えるとこれはすごいことだったのだなと思う)。
でもいつ頃からか気が付くと「みんな」とか「世間」とかそういった曖昧な空気が無条件には認められない風潮になっていた。いつ頃からなのかとかその原因とかは社会学者が語りつくしているだろうから(僕は詳しくは知らない)ここでは措く。それはおそらく個々の確立とか社会の成熟というやつなんだろう。
昔が良かったと言いたいわけではない。「みんな」の時代の窮屈さも知っているつもりだ。
しかし日本人はこれからもどんどん「個」に向かっていき、しかもそれは不可逆だと思っていた。だからこそ、「日本をひとつに」みたいなスローガン(というか考え方自体)が大々的に語られる時代が来たことに旧世代としてただただ驚いている。それだけである。