サインの意義

前に、知り合いがある作家のサイン会に行ってきたと言っていた。
郊外の大きなショッピングモールで開催され、100名ぐらいが来ていたとのことだった。割と有名な作家である。
それを聞き、そういえば僕にはサインが欲しいと思うような人は誰かいたっけか?と考えてみた。
考えてみたのだが、特に思い当たらなかった。
作家やミュージシャン、俳優、声優、お笑い芸人、スポーツ選手、政治家、経営者など、好きな人はいる。
ではその人のサインが欲しいかと言われると、「そうでもないかなあ」と思う。
それほどその人たちのことを好きではないということだろうか。いや、ファンである事の度合いとはそれは次元が違う問題だろう。
じゃあなぜ人はサインを欲しがるのだろう?という疑問が湧いた。
くだらない疑問だということは承知の上である。

サインの意義とはなんだろうか。
1.その人と遭った記念
2.その人から自分へのオリジナルなプレゼント
3.その人のサイン自体の価値
といったところか。

1は要するにスタンプラリーのスタンプと同じである。普段それほど好きでない人に偶然街で出会ってサインをもらう心理はこれだろう。
2についてだが、今回サインについて考えてみるまではサインの意義は1と3しかないだろうと思っていたのであるが、2という見方があるのが発見だった。
確かに、自分宛のサインは「世界に一つしかない」オリジナルな品である。ファンであれば、これを喜ぶのはわかる。
3はちょっと特殊かもしれない。例えば書道家や画家のサインであれば、一筆啓上ではないが、それで一つの作品である。そのサインには「ファンだから」という主観的な価値だけではなく、客観的な価値が出るといえる。
(とは言え、普通のファンは価値があるとかないとかそんな打算でサインを求めるのではないと思うが)
この心理もわかる。というより、これが僕が一番納得がいく理由だ。
価値うんぬんは置いておくとして、ある書道家が好きで、その人の筆致で色紙を書いてもらいたいというのならば理解できる。
だが、例えばあるミュージシャンの音楽が好きであるからといって、その人の書いた字が欲しいと思う心理はよくわからない。

そこでだ。
2の「オリジナル性」という要素と3の「作品性」という要素をミックスしてみてはどうだろうか。

例えば、ミュージシャンのサイン会は「ワンフレーズ会」になる。

ファン:感激です!いつも聴いています!
ミュージシャン:いつも応援してくれてありがとう。君、名前は?
ファン:本郷です。
ミュージシャン:本郷君ね、了解。じゃあいくよ。
ファン:はいっ。ガチャ(録音スイッチ)
ミュージシャン:♪本郷君〜。♪これからも応援よろしくベイベー♪
ファン:ありがとうございました。

このように、「色紙に字を書く」のではなくその人の活動ならではの作品にするのだ。
プロ野球選手なら「フルスイング会」になる(バッターの場合)。

バッター:いつも応援してくれてありがとう。君、名前は?…本郷君か。カメラの準備はいい?よしじゃあ、振るよ。
本郷君っ!(スイング)

他には、と考えてみた。
プロレスラーなら「ラリアット会」とかになるかな…と考えたところで、そういやプロレスラーではもうやっている人がいたことに気がついた。
アントニオ猪木はもう何年も前から、ファンの求めに応じてビンタをくらわしているのだ。
そうだ。あれこそが僕が考えていた理想のサインそのものではないか。
あれなら確かに僕も欲しい。