夏の思い出(完結編)

前編より続く)
おそらくノブテルはうれしかったんだろう。
当時僕は新聞は占いとテレビ欄しか見なかったのでノブテルが新聞に載ったことを知らなかったが、その日の夜に母からそれを教えられた。
「知らなかった?」と母に言われ、「うん。今日キヨテルと話したけどあいつ何も言ってなかったよ」
そう言ってからあることに気がついてハッとした。そうか、キヨテルは悔しかったんだろうな。大嫌いな弟が何かを成し遂げたことが。だから何も言わなかったんだろう。
逆にノブテルはうれしかったんだ。大嫌いな兄貴たちを見返してやれたことが。いつも偉そうに先輩づらして自分を抑えつける(これは僕の想像だ)。悔しい。全員やってやりたい。でも後から生まれた者の不幸か、まだ兄貴たちに勝てるものがない。勉強も、スポーツも、ケンカも遊びも、何ひとつ兄貴たちには敵わない。そんな僕が、初めてあいつらを見返してやることができた。見ろ。あんたたち誰もこんなすごい賞獲ったことないだろ?しかも僕はまだこんな小さいのに。今はまだ小さいから勝てないけど、それは単に後から生まれたからで、あんたたちより僕の方が才能がある。しゃべりはじめたのも、自転車に乗れるようになったのも一番早かったとお母さんから聞いた(これも僕の勝手な想像だ)。ノブテルはうれしかったんだ。

そこまではよかったのだ。
が、そこからがまさにこの兄弟のこの兄弟たる所以だった。
ノブテルは何を思ったかその翌年の夏休みも同じ題材で自由研究を提出した。昨年同様大作だったが、もう賞はもらえなかった。その翌年も提出した。中学に入ってからも、高校に入ってからも(この頃はどこに出していたんだろう)。毎年毎年、夏の思い出を集め続けていた。なぜそれを僕が知っていたかというと、僕も気になってキヨテルに尋ねていたからだ。「ノブテル、今年もやってんの?」というのが、毎年7月ぐらいの僕とキヨテルの恒例の会話になった。
その間僕も一度インタビューを受けた。大嫌いな兄貴の友達なので遠慮してたみたいだが、よほど人が集まらなかったらしい。僕が夏休みで帰省しているタイミングを見計らい、電話をかけてきた。
またある年は街頭でインタビューをしているノブテルを見かけたことがある。たぶんあれはノブテルが中学生ぐらいの時だ。僕が買い物帰りに商店街を歩いていると、通りの向こうに妙な人の流れができていた。目を凝らして流れの規則性を追ってみると先を行く通行人たちがある一角を避けるように足早に歩いていくのが遠目にも見て取れて、その渦の中心に変なやつがいた。「あれ、ノブテルじゃねえか…」豪勢な一眼レフカメラを首から下げ(だいたい、こんな道楽を何十年も続けられることから分かるように、こいつらの実家は相当な金持ちなのだ)、謝礼用の図書券や、各種文房具で膨れ上がった釣り用のベストみたいなやつを着て、歩いてくる人たちが自分の結界に入ってくるやいなや「あの!すいません!」と猛然とダッシュしてくる。当然みんな逃げる。それを繰り返していた。何人かに逃げられたのを見た後、僕もそのまま回れ右をしてさっき着た道を急ぎ足で帰った。その背中に「タナカさん!タナカさん!」と声がかけられるんじゃないかとびくびくしながら。
ノブテルにあの小3の時の面影ー誰もがそのひたむきさに「彼に協力しよう」と自然に思うようなーはもうなかった。何かの業に取り憑かれた少年の姿があった。あれじゃあ誰も話を聞いてくれないだろう。しょうがないやつだ。周りの人が誰か助言なりなんなりしてやらないんだろうか。そんなことを考えながら、たっぷり1時間ぐらいかけて遠回りして家に帰った。
その時もいろいろな感慨はあったが、まあそれは置いておく。つまり何が言いたいかというと、繰り返しになるが、ノブテルあの小3の時、よっぽどうれしかったのだ。だからあれから20年経った今でもそこから抜け出せずにいる。すがっている。ある意味、可哀想なやつなんだ(そんなわけあるか!兄貴と同じ、ただの変態だ。何がオトナの自由研究だ!)。

「夏の思い出か…」僕は結局答えることにした。答えないと終わらないからだ。家内はさっきから僕に後頭部を向けてテレビを観ている。髪を縛って寝ているので、頭の中ほどぐるりに変な段差ができていた。
「そうだな……、子供と初めてキャンプに行ったよ。昼は釣りして、夜は炭に火をおこしてバーベキューをやって、楽しかったよ」子供を見ながらそう言ってみたのだが、子供は微動だにせず家内のスマホで何かを見ていた。小さい音だがボカロみたいな声が聴こえるので、YouTubeで攻略動画でも観ているんだろう。
子供はこういう、「大人の話」には一切興味を示さない。仮に気になっても興味のないふりをする。いつの間にかそんな処世術を身に付けていた。両親の幼児性のせいで、大人にならざるを得なくなり、すまないことだといつも思っている。
そんな父からの思いを、ノブテルがぶっ壊した。
「出た。バーベキュー。またバーベキューだ。ふたことめにはバーベキューバーベキューって、なんなんですか。あなたたちは。なんでみんな最初にバーベキューの話なんですかあああ?」ノブテルは心底呆れ返ったように語尾を伸ばしてそう言った。その鼻に付く言い方に、お前と違ってみんな友達や仲のいい家族がいるからだ、という言葉が喉仏まで出たのを飲み込んだ。「うるせえお前と違ってみんな友達や家族がいるからに決まってんだろうが」飲み込んだが、やっぱり出すことにした。
と、勢いで言ってはみたものの、言った後やっぱり後悔した。
「そんな言い方しなくたっていいじゃないですかあああ!」
たぶんそう言ったんだろう。音が割れるほどの大声に反射的にスマホを耳から離したので、途中からは聞き取れなかった。しばらくそうしていたが電話の向こうではノブテルの悪態が続いていて、音は聞こえないがボリボリという振動が手に伝わってきた。

ノブテルがなぜこうも怒り狂うのかというと、それにはちゃんとした(僕はそうは思わないが)ノブテルなりの理由があった。100人の思い出に、重複したテーマを使ってはいけないというルールがあるからだった。
そしておそらくこれこそが、最初の年にノブテルが賞を獲れた要因だと僕は思っている。考えてみてほしい。100人の違うテーマの話など、そうそう集められるものではないはずだ。誰もがそうとっぴなことをしている訳ではないのだ。当然同じテーマの話をした人もいるはずで、それは捨てたということだ。だとすると100テーマに至るまで何人の話を聞いたのか。それを考えると戦慄すら覚える。
が、今は今だ。ノブテルがどんな話を集めていようとこっちは知ったことではないし、それが他人とかぶっているからといって揶揄されるいわれもない。ノブテルの不愉快な語尾の伸ばし方は、僕ら家族がしてきたことがなんだかひどくつまらないことであり、それを思い出として喜んでいる僕が言いようもなく小さな人間なんじゃないか思わせるような低俗な響きがあった。要するに小学生の言う「や〜い」と同じだ。

「誰もがタナカさんみたいに幸せな家庭に生まれたと思わないでください……」
「そこまで言わなくてもいいだろ…分かった、悪かった、悪かったよ」なぜ僕が謝っているのか自分でも理解できなかったが、とりあえずそう言った。僕の謝罪を聞いて、家内がぴくりと動いた。家内の動きにつられて子供も少し目を上げた。やめろ、お父さんの恥ずかしい姿を見るな。

「でもなあ……俺もそんなに変わったことはしてないよ。盆にそっちに帰ったけど、夏休みの里帰りの話なんか、とっくにあるだろ?」
「ありますね。里帰り系は特に今年は豊作でした。刑務所帰りの人の話を泣く泣く捨てましたよ」
「……そんな渾身の話を捨てるのかよ…話す方も話す方だけど、聞き出すお前もお前だよ」採用された里帰りの話にも興味があったが、長くなりそうなのでそれ以上聞くのはやめた。
「あ、そうだ。帰省で思い出したよ。家族が増えた話はどうだ。あるか?」
「ビンゴでござる!(いちいちこういう言い方が人をイライラさせるということにこいつは気がついていないのだ)出産は今年はないです。妹さんですか?」
“今年は”という言い方もまるでそこにしか価値がないようで実に勘にさわるのだが、とりあえずそれは飲み込んだ。今度は本当に飲み込んだ。
「いや、そうじゃないんだけどね」しかし僕はニヤニヤしていた。ニヤニヤするような話だからだ。「実は夏に、子猫をもらったんだよ。しかも3匹。すごくない?」
「それのどこが出産なんですか!ペットを飼った話ならもうありますよ。だいいち僕は猫が嫌いです」
「知るか!」
実は、僕も猫が嫌いである。犬も嫌いだ。総じて動物はあまり好きではない。
だが、子猫は別だ、ということを今年初めて知った。子猫は可愛い。なにしろゲージの掃除をしていたら「自分の家はどこだ?」とばかりにシルバニアファミリーの家に入り、ぎゅうぎゅうになって出られなくなったりするのだ。あれはたぶん猫とは別の生き物だ。
前に飼っていた老猫が夏の前に天寿を全うし、家族には一時期小さな穴が空いていた。その穴を障子のようにぶち破って3匹の猫はうちに飛び込んできた。もう家族を見送ることに疲れていた僕たちは、それをとても喜んだ。人だろうが猫だろうが、幼い命が家庭の希望であることにはなんら変わりはない。それをなんだこいつは。何が「もうある」だ。そんなに言うならお前が結婚して夏に産まれるように子供を作ればいいのだ。できやしないだろうが。
「そんなに言うならお前が結婚して夏に産まれるように子供作ればいいんじゃないですかあああああ〜?」抑えきれずにそう言ってしまった。しかもなぜか僕もノブテルの口調になっていた。

瞬間的に僕は耳からスマホを離した。
さっきの悪態の時よりも、いや、その比ではないぐらいノブテルの心を抉った手応えがあったからだ。アメコミみたいに叫び声がスマホの画面を割って飛び出してきて僕の右耳から左耳に抜けていく絵が頭に浮かび、僕は片目を閉じて衝撃に備えた。

そしてしばらく待った。
スマホからは何も聴こえてこない。
ん?と思ってもう一度スマホを耳に当てようとして、いや、これは時間差攻撃かもしれん、ノブテルは「溜め」撃ちをしようとしてるのかもしれんと思い直し、またしばらく待った。
まだ何も聴こえない。
ちょっと不審に思い、おそるおそるスマホを耳に当てた。
鼻をすするような音が聴こえた。
「もしもし?どうした?」
また鼻をすするような音。
「もしもし?どうした?」嫌な予感がして、何度も呼びかけた。「おーい、もしもーし」
「……てるんですよ……」
弱々しい声が聴こえた。この世の終わりの前の日のような声だ。幽霊屋敷の隙間風はきっとこんな音で吹きすさぶのだろう。うららかな昼下がりの気温が僕の周りだけ10℃下がった。
どうやらノブテルは泣いているらしい。「…ですよ、…ですよ」という声だけがかろうじて聴き取れる。
いやいやいや、ちょっと待て。多少言いすぎたかもしれんが、それじゃあこっちが悪いことしたみたいじゃないか。お前、それはずるいぞ。
「おーい、もしもーし、どうした?おーい」僕は呼び続けた。ノブテルを「こっち側」に連れ戻さないといけない。
しばらく呼びかけていると、ようやく音声が明瞭になった。「…分かってるんですよ、そんなことは…」そう言っているらしい。
「分かった?分かったって何が?」
「…から…こんなこといつまでも続けられないことぐらい、俺だって分かってるんですよ」
ノブテルはそう言った。僕はこの言葉に大きな衝撃を受けた。同時に衝撃の裏側で少しの安堵と、わずかに落胆を感じた。安堵は、こいつでも自分のしてることに疑問を感じているという点だ。自分が狂人と話しているのではない(変人ではあるが)ということにちょっとホッとした。だが反面で落胆を覚えた。だからこそこいつみたいなやつには周りの目も気にせず奇行を続けてほしい(僕に被害の及ばないところで)のになあ、という残念な気持ちだった。

が、問題はそこではなかった。「…お前、そんな寂しいこと言うなよ…」ノブテルが自分の行動をどう自戒していようと、それはどうでもいい。「ひとつのことを何十年も続けるとか、なかなかできることじゃない。俺にはお前みたいにそんな懸けられるものがないから、ある意味羨ましいよ」僕の一言で足を洗ったという責任を負わされるのはまっぴらだった。

「そんなこと言うけど…」ノブテルの声は落ち着いてきた。「どうした?ん?ん?」できるだけ陽気に軽快に相づちを打った。「タナカさんは知らないだろうけど…」「何を?ん?ん?」「こんなことしてると、みんなに変な目で見られるんですよ」「あた…」当たり前だろ、と反射的に言いそうになった。危ない。「…あたしはそうは思わないね」落語のご隠居みたいな言葉になった。「…あたし?」「…それはいい。とにかく、止めるとか言うな」「……」
電話だと、無言の意図が分からなくて困る。「いいか?元禄時代の武士が四半世紀近くつけていた日記が、当時の武士の暮らしぶりを知る重要な資料として今も読み継がれている。“続ける”ということはなんであれ、それ自体が価値を持つんだよ。だから、今お前を変な目で見る人にじゃなく、300年後の人に読ませるつもりで書けばいいじゃないか!」
「そんなもんですかね…」ノブテルの声は少し和んだ。「そんなこと言われたの初めてです」よし、いい感触だ。

いや待てよ?
何かがひっかかった。これは何だ。
僕の一言でノブテルが「夏の思い出」集めを止めたとしよう。ノブテルは僕を恨むかもしれない。僕は少し寝覚めが悪いだろう。だが、僕の一言でノブテルがこれからも「夏の思い出」集めを続ける決意をしたとする。するとどうなる?たぶんキヨテルやその兄弟、家族、もっと多くの人間から「せっかく足を洗わせるチャンスだったのに余計なことしやがって…他人のくせに…」と恨まれるだろう。きっとその怨嗟の声の方が強いはずだ、ということに今さらながら気がついた。おい、逆だ逆だ。
「あ、いやまあ……300年後まで残せるメディアとか無いし…、プリンターのトナーもそこまで耐久性ないし…あんまり無理しなくてもいいんじゃないかな…元禄武士の日記も門外不出で最近まで日の目を見なかったって言うし…」
「…なんなんですか、タナカさん。さっきから何が言いたいのかさっぱり分からないよ」
「いやだから…、何が言いたいとかじゃなくて、つまりあれだ、俺がどう言ったとかじゃなくて、自分のやりたいことは自分で決めろということだ」
「はあ…」

「子供の自由研究の話はあるか?」
「…あ、その話ですか。自由研究は……ありますね。そうそう、それがね、スズキ先生の息子さんの話なんですよ」
「スズキ先生?」
「G中の」
「覚えてないなあ。俺も知ってる先生か?教科は?」
「教科は知りません。校長だったから」
「校長っ⁉︎……おい、それってまさか、あの生徒指導のスズキ先生か⁈」
「そうそうその人。僕らの時は校長でした」
「あの人校長なってたのか!……つかお前、20年前卒業した中学の校長にも凸したのか!」
「ええまあ」
「見境ないやつだな……あれ?ちょっと待てよ。スズキ先生は俺たちの頃でももうけっこう高齢だったぞ…息子さんって、いくつだよ」
「2番目の兄貴とタメって言ってたから、50手前ですね」
「ジジイじゃねえか!」思わず素っ頓狂な声が出た。「…なんだそりゃ…息子の自由研究っていうからてっきり小学生かと思ったよ…スズキの子供も50前で自由な研究とか…なにしてんだよ…。おい、お前といっしょじゃないか…」
「ライフワークで郷土史を調べているって」
「ああ…まあ確かに、それは自由研究だな」
「タナカさんのは?」
「…もういいよ。そこまですごくない。子供が夏休みの自由研究で椅子を作ったって話だ」
「どんな椅子ですか?」
「いや…別にいいだろ。木工の工作でよくあるような普通の椅子だよ…」
子供をちらと見た。どきりとした。下を向いてスマホを見ているが、全身で話を聞いている感がありありと漂っていたからだ。目をそらして家内を見ると、こっちも恐ろしい目で僕を見ている。不審な電話で子供の悪口を言っていると勘違いしてるんだろう。また片目をつぶって「ごめん」のハンドサインをした。
家内は表情を変えずに僕にこぶしを突き出して「いいね!」のハンドサインをした。ホッとした。よかった…伝わったみた……その手が上下反転した。
あー…そうなのね…「ゴートゥヘル」のサインだったのね…。「…いやだから普通に見えるけど、…でも実用的でなおかつあたたかみがあって、それでいて可愛い椅子だよ!」言いながらだんだん腹が立ってきた。
「写真あります?」
「ないよ!心のアルバムにしまったわ!」
「そうか…残念だな。そっちを採用したかったのに」
「同情はいらん」
「同情じゃなくて、今思いついたんだけどタナカさんには名誉会員になってもらおうと思って」
「はあ?名誉会員?」また謎の言葉が出てきた。もう無理だ、ついていけないと思った。僕はもう理解しようと努めることもやめた。
「そうです」心なしかノブテルの声ははにかんでいるように聴こえ、それがいっそう腹立たしい。「何回か採用された人は、優先的に毎年採用される名誉会員になってもらってるんです」
「要るかっ!」
電話を叩き切った。と言っても昔の黒電話と違いスマホなので、優しく親指でタッチしただけだが。

気がつくと胸元まで怒りがせり上がってきていた。体はふた回り小さいスーツを着せられたみたいにこわばっている。あ、そうだ。慌ててスマホの電源をオフにして、家電話に飛びつきプラグも抜いた。
結局、20年前とまったく同じ結果になった。

「何だったの?」家内の声は不審から不信を通り越し、逆に無表情になっていた。面倒なことはごめんよというオーラが全身から漂っている。
「ごめんごめん」演技ではなく、心底疲れた声が出た。「前に話したろ。地元の後輩のノブテルからだよ」
「あの、夏の思い出くん?」面白くもなさそうに家内は言った。
「うん。20年ぶりぐらいだけど、なぜか今年は俺がターゲットになったらしい」
「それで工作の話してたんだ」
「うん。あんまり失礼なこと言うんで切ってやった」
「話せばよかったのに」
「椅子の話?」家内の言葉は意外だった。「あの椅子にそんな特別なエピソードあったっけ?…いや、頑張って作ったのはもちろん知ってるけど」
「じゃなくて、ジャッキーチェンのこと」
「ジャッキーチェン?」思わず聞き返した。なんでここでその名前が。さっぱり意味が分からない。
「クラスで、自由研究の発表したんだって。なんでその題材を選んだとか、工夫したところとか」
「それは聞いた。あの椅子は座面に古着使って、エコにしてみましたって言ったんでしょ?」
「うん。授業の後、男の子に“どうせお母さんに手伝ってもらったんだろ”ってからかわれたんだって」
「ああ…男の子はそういうこと言うよな…」
「で、椅子を乱暴に扱ったから腹が立ったらしくて、椅子を取り上げたんだって」
「やるなあ」ちょっと意外だった。普段は言い返せないおとなしい子なのに。
「そしたら男の子が向かってきたんで、とっさに男の子に向かって椅子を床に滑らして」
「え?」
「男の子が椅子にぶつかって倒れたところを」
「は?」
「椅子の足の間に男の子の手足を挟んで動けなくして、その上にあぐらかいて座ったんだって」
「香港映画じゃないか!」
「で、“中国の古いことわざに、ジャッキーに椅子を渡すなってのがあるの知ってる?”って言ってやったんだって」
「嘘だろ…。そんな武勇伝、初めて聞いたよ…」
「まあ、嘘なんだけどね」
「…なんだよ!」
「なんだよじゃないわよ。スケボー連れて行くんでしょ」
「そうだった…準備しなきゃ…」

公園に向かう車の中で、ノブテルのことを思い出していた。
さっきは言えなかったが、僕の、今年の夏の一番の思い出はなんだっただろう。
初めての家族キャンプに行った。子供とプールで大きなスライダーにも乗った。同窓会にも行った(おそらくここでぼくの携帯番号がノブテルに流出したのだ)し、渓流でスイカ割りもした。
どれも間違いなく楽しかった。誰かに訊かれて答えるなら、こういうエピソードなんだろう。
だが、イベントばかりが思い出なのだろうかという疑問があった。今年の夏も、去年の夏も一度きりだ。何気なく過ごす生活の中にも、強く残る思い出もあってもいいはずだ。そんなことって無かっただろうか。

その答えはあった。というか、ノブテルに最初に「夏の思い出は?」と訊かれた時から、頭の片隅にはずっとその情景があった。

8月16日の夜、実家で送り火を焚いた。
火を囲んだのは母、妹2人、僕の4人だった。僕は新聞紙の上に割り箸で作った焚きつけを置き、ライターで火をつけた。前日の雨で庭の砂は濡れていて、中々火がつかない。「ほんと不器用だなあ」と妹の悪態が飛ぶ。焦りながら火をつけた。オレンジの炎が風に煽られ、だんだん大きくなってきた。

4人で火を見下ろした。ハンバートハンバートの“今宵小さな火を焚いて”という一節と同じ情景だ。
また一年が過ぎたんだな、と思った。

「お父さん」と母が言った。僕は母を見た。母は火を見ている。「あっちゃん、ぶす、モモ、寧々、シーザー、プー子…みんないっちゃったね」ぶす以降はペットの名前だ。みんな逝ってしまった。改めて名前を呼ぶと、これだけの大勢の家族を見送っていたのだ。
母が、妹の名前を呼んだのを久しぶりに聞いた。おそらく三回忌の時以来だ。妹は僕らの記憶の中にいる。でも、そこにはいない。
が、名前を呼ぶと、その時だけ僕らの前に現れる。母の呼びかけで、妹2人と僕の目の前にも、篤子の姿がよみがえった。ひまわりのような明るい笑顔で、篤子はそこにいた。父もいた。父の姿は、子供の頃見上げたときのように大きかった。
久しぶりに、家族6人が揃った。小さな、消えそうな火を囲んで。

しばらくすると火は弱くなった。歌の歌詞とは違い、夜中燈すことはできない。僕は燻りに水をかけ、灰を袋に入れた。

これが僕の、夏の思い出だ。ノブテルに話したところで、そんなのうちでもやってますと一蹴されるだろう。僕ら家族の喪失と、その後の生活のことなど、僕も詳しく話すつもりもない。ノブテルには話せない、個人的な夏の思い出だ。

公園についた。そういえば携帯の電源オフにしたままだったと気がついて、電源を入れた。ブブーとバイブが鳴った。
不在着信が32件入っていた。


注:キヨテルのことは、前にここで書いた。
http://d.hatena.ne.jp/bonnie_yt/20110309/1299630608